6月18日(土)、明大前キッド・アイラック・アート・ギャラリーで、沈黙[朗読X音楽]瞑想コンサートをおこないます。お申し込みはこちらから。
「沈黙の朗読? 読まないのですか」「音楽瞑想とは? 聴衆が瞑想するのですか。それとも瞑想しながら演奏するのですか」等と聞かれることもある、このコンサート。あなたは、どんなものと想像されるでしょうか。
前回公演に「参加」されたかたの感想をご紹介しましょう。
前回、この沈黙シリーズ「朗読×音楽」瞑想を聴きに行って、感想をアップしようと思ったが、うまく言葉に出来なかった。
言葉に出来ない。
音、声、吐息、動き、演者含め、観客含め、テキスト含め、言葉に出来ない生命のイメージや空気や水や大地の感覚しか湧いてこなかったから。
はっきり言って、テキストの筋なんか覚えていない。
冷たい空気と雪の匂い、黒土の感触とネギの青い匂い、海の音と色、うみねこの声……
でもそれで良いと思ってる。
とても贅沢な時間を、みんなと共有してるけど私だけの時間を、贅沢に味わったと思う。
……ふつうのコンサートとはかなり異なる印象ではないかと思います。
昨今、朗読と生演奏の組み合わせのコンサートが増えていますが、それらとも趣をまったく異にするものであると言えましょう。
動きまわる朗読、暗闇のなかでのピアノ演奏、極少と豊穣……すべて即興でありながら、聞き手にはまるで緻密に構成されたように感じられるようです。
このタイトルですでに13回のコンサートをおこなってきましたが、実はそれ以上の長い背景があります。
このコンサートは、サウンド・メディテーション(音の瞑想)の手法をヒントに、かれこれ15年近く前に水城がはじめた「暗闇のコンサート」「Into Your Mind」「サウンドスケッチ」「ディープ・リスニング」「槐多朗読」といった一連のプロジェクト/作品群と、その過程で培ってきた瞑想やマインドフルネス、そして共感的コミュニケーション(Nonviolent Communication)の叡智を統合したものです。
コンサートという形態をとっていますが、「体験」というにふさわしいものだと思います。どう受け取るかはもちろん参加する人の内側に依るもので、「全身を耳にして音にただ浸る喜び」もあれば「意識と無意識を行き来する感覚」や「深い瞑想体験」ともなります。
くりかえし参加するうちに、感覚がどんどん変化していくのを実感した人や、さらに表現力や感受性を磨くレッスンとして活用された方もいます。
沈黙[朗読X音楽]瞑想コンサートは、受け身での娯楽や消費ではなく、自分もその空間を構成するひとりとして「体験」するコンサートなのです。あなたがそこにいることが、唯一無二の時間を作るのです。
そんなコンサートに「参加」してみませんか。
詳しくはこちら(音読療法協会)のページもごらんください。
その他の感想について、上記ページからおひとり、紹介させていただきましょう。
最初は、照明の明るさのもと卯妙さんのゆっくりとした歩みを伴った、一人の女の置かれた状況・内面を空間にマーキングするかごとく、情景描写の静かな朗読(声・言葉)が、空間を移動する。(そこから私は殆ど最後まで、眼を瞑っていた)まだ、あまりよく説明できる言葉が見つからないのですが、水城さんの音楽が始まる前から、卯妙さんの言葉・声のリズムや高低が、意味を表現しながらも、音楽的な瞑想のモチーフというか要素を提供する音の流れに聴こえるようになった。
水城さんの即興の音の塊や流れによって、気持ちやイメージを想起するというより、朗読から紡ぎだされる音(もちろん意味を示す言葉であるのだが)とが、対等に響き合って、音楽で言えば連弾あるいは2重奏の様に、演劇で言えば掛け合いのセリフの様に、空間を支配していた。
中盤からの真っ暗な暗闇の中での演奏と朗読の沈黙は、瞑想を更に深くしつつ、文脈に拘る心を解放して、イメージの浮遊となったようです。
(中略)
あたりまえの事と言われるかもしれませんが、音に意味があるように、言葉にも音としての手触り(質感)があることを、すごく感じもしました。
明るさの中の沈黙、音の連なりと静寂の中に想起されるイメージ、暗闇の中の音の豊饒さ。
「見えないものが視え、聞こえないものが聴こえる」
「沈黙[朗読×音楽]瞑想」ライブが何処まで深化していくのか……また参加させて頂きます。
参加のお申し込みはこちらから。
出演は水城ゆう(テキスト執筆・ピアノ演奏)、野々宮卯妙(現代朗読)。
昼の部(14時〜)および夜の部(18時〜)の2回公演です。ご予約はこちらからどうぞ。