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「蛍」
日が暮れるのを待ちわびて、ぼくらは夜の道に出た。
ぼくらというのは、小学校にあがったばかりの四歳下の妹とぼく、そして父と母の四人のことだ。
夕方にさっと通りすぎた通り雨のにおいが夏の強い日射しの名残を残した地面から立ちのぼり、それがこれから行こうとしている水場のことを予感させて、ぼくと妹は興奮ぎみだった。
ぼくは竹箒、妹はうちわを持っている。これで蛍をとろうというのだ。
父が数年前、市街地の一番はずれに新築した家は、国道を越えると繊維工場と田んぼしかなかった。しかし、そろそろ国道の向こう側にも田んぼを造成して家が建ちはじめていた。
ぼくが小学校にあがったばかりのころは、まだ田んぼに「肥《こやし》」をまいている光景が見られたものだったが、このごろは太いホースのような長い袋を田んぼの上にわたして、ふたりがかりで白い農薬をまいている光景に変わっていた。それにともなって、学校帰りによく用水路にはいりこんでカワニナを採っていた遊びも、カワニナそのものがいなくなってしまってやらなくなっていた。もっとも、高学年になるとそんな子どもっぽい遊びはやらなくてもいいと思っていた。
家の庭に面した縁側にすわっていると、蛍が池の上をちょくちょく横切ったものだが、最近ではそんな光景も見られなくなってしまった。市街地やその近くにはもう蛍は来なくなってしまったのだった。
でも、山際の、山間部の水門から直接引いてきている用水路のあたりには、蛍がたくさんいることをぼくは知っていた。
国道を渡って、まだ家もまばらな田んぼ道を歩いて、山際のほうに向かう。明かりがだんだん少なくなってきて、山裾の用水路に近づいたころにはほとんど真っ暗で、道路と田んぼの境界すらわかりにくいほどだ。
「田んぼに落ちないように気をつけろよ」
父が注意をうながす。
夜空を見上げると、満天の星。目をこらすと白鳥座のあたりに天の川が見えた。
流れ星が見られるといいのに、とぼくは思ったけれど、それはかなえられなかった。ペルセウス座流星群の時期にはまだ早かった。
目的地である山際の用水路のところまでやってきた。
待つまでもなく、ぼくたちはすでに蛍の光のまっただなかにいた。たくさんの青白い光が点滅をくりかえしながら、不規則な航跡を描いてぼくらを取りかこんでいる。
そばにある用水路から水の音が聞こえている。そちらのほうから無数の光が沸きあがってくる。羽化したばかりの蛍が乱舞しているのだ。
ぼくは竹箒をふるって光をからめとり、つかまえた蛍を虫かごにそっと入れた。何匹も入れた。妹もうちわで払い落とした蛍をつかまえて、虫かごに入れた。
そうやって十数匹の蛍をつかまえたぼくたちは、また真っ暗な道を引き返して家にもどった。
その夜、ぼくと妹は、蛍を入れた虫かごを枕元に置いて寝た。虫かごにはススキの葉っぱもいっしょに入れてあり、池の水に虫かごごとつけて水滴をつけてあった。
布団にもぐりこんで虫かごを見ると、虫かごの中で蛍が音もなく点滅を繰り返している。ぼくはそれを飽きることなく見つめていた。
蛍の虫かごからは、すこしツンと鼻をつく、独特のにおいが流れてきた。それが蛍のにおいなのだとぼくは思った。
光を見ているといつまでも眠れないような気がしたけれど、もちろんそんなことはなく、ぼくはいつの間にか眠ってしまっていた。
朝、目覚めると、明るい日差しのなかで、蛍は黒い炭のかけらのように、ススキの葉っぱのあいだにわずかに確認できるくらいだった。
その虫かごをそのあとどうしたのかは、結局思いだすことはできない。