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—– 朗読パフォーマンスのためのシナリオ —–
あれは何年前のことだったろうか、その犬の名前はいまとなっては妻の名前と同様忘れてしまったが、愛苦しいゴールデンレトリーバーで、まったく家族同様に暮らしていたのだから、その犬の名前を私が忘れてしまったのはおそらくフロイトがいうところのつらい記憶の番人の仕業に違いないのだが、彼の長い毛足のふさふさと柔らかな体毛の感触ははっきりとした実感をともなってまるでいまでも手をのばせばそこに実体化するがごとく記憶の奥底にしまいこまれていたし、それがトリガーとなってぐりぐりと動くたくましい躍動する筋肉の感触や雨に濡れるととくに強くなる身体のにおいまで実体化するようで、しかしいま私が思いだしているのは彼が悪性のリンパ腺腫でたった六歳で死んでしまったあの朝、まだぬくもりの残っている大きな身体を玄関のコンクリートのたたきから部屋のなかへと運びこもうと抱きあげたまさにそのときの感触でありました。私はその感触を
なので神聖なことのようにいまでも感じているのであり、悲しみ、喜び、楽しみ、暖かさ、活発さ、冒険、新鮮、安心といったさまざまな感情の記憶とつながっている大切な記憶のトリガーといってもいいのであります。
それなのに、であります。
それなのに、であります。
それなのに、であり 右手に知覚が戻ったのは、私の右手をなにかが強く圧迫しながら強い力で上へと持ちあげようとしていたときであります。私は私の神聖な記憶を無理矢理かなたへと押しやられ、かるい憤りを覚えながら、私の右手に起こりつつあることを認識しようとしたのであります。
だれかが、何者かが私の右手をつかみ、強くつかみ、握りしめ、そして私の意に反して上のほうに差し上げようとしている。
私が身体を密着させまいと懸命の努力をしていたところの私の前にいた短いスカートからむちむちした太ももをのぞかせていた女子高校生が首をねじまげて私のほうを見上げ、そう彼女は私よりずっと小柄だったため、私を見るためには下から見上げるような格好にならざるをえず、上目遣いになり、下方から鋭角に私を見上げることになり、視線は下から上へと向かって急角度で突きあげられ、私の目に視線が突き刺さり、私はそれがなにを意味するのかとっさには理解できず、ただ視線を受け止めるばかりで、とまどった私の視線が彼女に伝わったのかどうかすらわからず、彼女は鋭い視線を向け、その視線は怒りや憎しみに満ちているようにも見え、たんなる眼球がなぜそのような感情を表出するのか私には理解できず、眼球ではなく眼球を縁取るところの瞼や眉やそれを取り囲む表情筋が感情を表出しているのかもしれず、また瞳孔の奥の水晶体のさらに奥にある網膜に走る無数の毛細血管の脈動が感情の興奮状態を表出するのかもしれず、そんなことを
の右手が私の意に反して無理矢理上のほうへと引きあげられていたのでございます。
ち か ん
で す こ
の て で
す
電車はいままさに次の駅のホームへとすべりこんでいくタイミングであった。かの女子高校生がそのタイミングを見計らっていたことは明らかであった。私の思考は停止していた。いや、実際には停止していたわけではない。脈絡のある思考が失われていたというべきだろう。私の思考の道すじは脈略のあるストーリーを失い、意味を失っていた。思考が脈略を失ったとき、人は自意識を失う。自分になにが起こっているのかわからず、また自分が何者なのかもわからなくなる。私の右手は女子高校生につかまれていた。女子高校生は私の右手をつかんで肩より高く持ちあげていた。持ちあげたこの手が「ちかん」であると叙述していた。私の手はちかんなのか。ちかんとはなんなのか。なにをもって私の手はちかんと定義されるのか。
私のまわりがざわめいている。電車はまさに駅のホームに停車しようとしている。電車のドアが開こうとしている。乗客のひとりがいう。こいつを警察に
突きだすんだ。おれがいっしょに行ってやるよ。若い男の声だ。もうひとりがいう。私も行ってあげる。若い女の声だ。私はふたりの男女に両側からそれぞれ腕をつかまれ、開いたドアから電車の外へと連れだされる。
電車のドアの外は駅のホームの上であった。駅のホームはまだ真新しい。数年前に路線の複々線化のために駅と線路が高架になり、駅のホームも新しく作りかえられた。どの駅も似たような風景になり、駅名のプレートを確認しなければ
どの駅なのかわからない
私たちの、私たちというのは私と私の右手をつかんだ女子高校生と私の両腕をつかんだ男女ふたりの計四人であるが、その私たちの背後で電車のドアが閉まる。振り返ると
ドアのガラス越しに好奇の色を浮かべた乗客たちの視線が私たちに向けられている。視線が横すべりを始める。ゆっくりと横にすべっていき、しだいに速度をあげる。視線は私の視線から遠くはなれ
見えなくなる。電車がハイブリッドモーターの音を高めながら 速度をあげる。八両編成の電車が
ホームから離れていく。一瞬
最後尾の車両の最後尾の窓から上体を半分のぞかせた車掌と視線が合い、パチン
という音が聞こえたような気がするが、もちろんそれは錯覚で
引きこまれるような風圧が私を線路側へわずかに押しやる。
いい天気だ。
真っ青な空がホームの上を覆う屋根の間から見える。それを見て、私は記憶を訂正する。あの日が梅雨時のむしむしした日かもしれなかったという記憶は間違いであった。からっと晴れた夏至に近い初夏の日であった。真っ青な空には真っ白な積雲が綿菓子のようにぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽっと浮かんでいる。綿菓子の手前を電車の架線が何本かまっすぐに横切っている。雲の背後を架線とは鋭角をなす角度の白い直線が横切っている。飛行機雲だ。飛行機雲だ。私は夏の空が好きだ。私は夏の空が好きだ。私の生まれた土地は田舎の山間部だったが、その夏の空も好きだった。私は夏の空が好きだ。飛行機雲だ。私が生まれたのは田舎のほうの、山が谷でくびれ、せせらぎが川となって平野へと流れこむ、その出口のところだ。小さな村となだらかな山があって、人々は長い年月をかけて山と折り合いをつけながら、段々畑や田圃を作ってきた。私が生まれたのは、コブシや桜が終わり、藤や桐が薄紫色の花を咲かせるころ、山吹が山裾の小道を黄色く彩るころだった。雪解けの名残り水が田に導かれて水平に広がり、空を映してぬるむと、白鷺が冬眠からさめた蛙をついばみ、子どもらはスカンポを噛みながら畦道を駆け抜ける。蛇口のパッキンを買わなければ、と私は思いだす。