憂国旅団

こんなに大きい
こんなに世界を二分する戦争が
こんなに立て続けに起きる時代
「正義の旗のもとに集え!」
みんなが拳を振り上げる
「がんばれ、がんばれ」
「守れ、守れ」
「殺せ、殺せ」
「殺されても、殺せ、殺せ」

なぜ「守れ」が「殺し合い」になるのか
敵と話すことって
そんなに難しいことですか?
こどもたちが、こんなに殺されているのに

——伊勢崎賢治

3人の声・息で“戦争に抗う”音楽的朗読パフォーマンスユニット「憂国旅団」(命名・伊勢崎賢治)。

左から、カルメン・マキ、野々宮卯妙、伊勢崎賢治

分断が対立を生み、対立が分断を生む無情の連鎖。

恐怖から逃れようとしてさらなる恐怖を育てている哀れ。

私たちは無力だ。

しかしそれは無為無策の理由にはならない。

手をこまねいて奇跡が天から降ってくるのを待つのではなく、自分自身を——わが手と口を他者とつながるために用いよう。

——野々宮卯妙

》》憂国旅団ライブ みなさまの感想はここをCLICK《《

Artist’s Profile

朗読/構成●野々宮卯妙

現代朗読家。「沈黙の朗読」シリーズ(キッドアイラックアートホール)、「槐多朗読」(明大前カフェ槐多)、「特殊相対性の女」(愛知県立芸術劇場小ホール)、「事象の地平線~イベント・ホライズン」(総合文化センター大和田大スタジオ)、板倉克行ライブシリーズ(新宿PIT INN他)など。音読療法士としてメンタルケア・介護予防を、実践者・トレーナーとして共感的コミュニケーション(NVC)を全国で支援・指導。 NVCジャパン・ネットワーク事務局長。CNVC認定トレーナー。日本平和学会員。韓氏意拳学会員。NPO現代朗読協会理事。音読療法協会代表。ポエトリースラム2015ファイナリスト。2022年6月、憂国旅団結成。

朗読/歌●カルメン・マキ

1969年、発足したばかりのCBSソニーから「時には母のない子のように」で歌手デビュー。いきなりの大ヒット。その年のNHK紅白歌合戦に出場。1972年、カルメン・マキ&OZ結成。ビアガーデンやディスコテックの下積み時代を経て75年KITTYレーベルよりファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」リリース。日本のロックアルバムとして初の大ヒット、好セールスとなる。1977年、惜しまれつつOZを解散。以降、ソロとして多くの音源制作やライブ活動を行いロックやフォークに囚われず新機軸を開発すべく、2000年以降は様々なフィールドのミュージシャンとの活動を展開。2014年、デビュー45周年を記念した3枚組ベスト盤「GOOD TIMES/BAD TIMES~History of CARMEN MAKI」と、そのライブを映像化した初のDVDをリリース。2018年10月、それまでの過去幾度となく断り続けてきた「カルメン・マキ&OZ」だったが、41年ぶりに奇跡の復活をCLUB CITTA’で果たす。 カルメン・マキは、2019年、音楽人生50周年を迎えた。「カルメン・マキ50th Anniversary Live ~デラシネって半世紀~」と題したライブシリーズを5回にわたり、それぞれ違ったジャンルのミュージシャンと活動を展開した。また、初の出版物“Carmen Maki Songbook 50th Anniversary”が出版された。後書きには「カルメン・マキの孤独な旅はまだまだ続く。これからも聞き手を想像もできない空間に運んでくれるだろう」、と。

トランペット/トーク●伊勢崎賢治

平和学研究者。東京外国語大学名誉教授、自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会呼びかけ人。
ジャズと出会ったのが2001年内戦中のアフリカ、シエラレオネ。内戦終結のため民兵の武装解除の責任を国連の幹部として負った時。現場から宿舎に帰還して部下のアイルランド陸軍将校が聴いていたCannonballのSomethin’ ELSEにシビレル。トランペットを手にしたのは2003年アフガニスタン。アメリカの占領政策でアフガン軍閥の武装解除の責任を負うことになり、今度こそ死ぬかも、と買って持って行ったのが始まり。その後生き延び、精進を重ね2010年にプロデビュー。

テキスト●水城ゆう

1957-2020 福井県生まれ。小説家、ピアニスト、現代朗読協会・音読療法協会ファウンダー。京都でジャズトリオを率いての演奏活動を経て、1986年にSF冒険小説で徳間書店からデビュー。福井のテレビ局・ラジオ局にて司会や放送作家を務めながら、執筆した朗読用テキストを俳優が朗読し自身は即興演奏をするパフォーマンスをギャラリー等でやり始める。2006年NPO法人現代朗読協会を設立、代表を務める。執筆およびオーディオブック・音楽制作を続けながら、トランジション世田谷茶沢会、日本在来種ミツバチの会、NVCジャパン・ネットワーク等多方面にわたる旺盛な表現活動を通して、持続可能な社会、非暴力によるコミュニケーションの実現に力を注ぐ。2019年6月に食道がんが見つかり、余命一年の宣告。11月『事象の地平線 末期ガンをサーフする』を発表。2020年6月12日〜8月3日のほぼ毎日「mizuki yuu essay」と名づけた即興曲をYouTubeで発表。2020年8月15日逝去。享年63。

History

2022/6/25 レディジェーン(下北沢)
2022/11/26 レディジェーン(下北沢)
2023/1/22 レディジェーン(下北沢) with 中村哲(ss)
2023/4/22 Yellow Vision(阿佐ヶ谷)
2023/6/25 レディジェーン(下北沢)
2023/8/13 Yellow Vision(阿佐ヶ谷)
2023/11/12 レディジェーン(下北沢)
2023/12/8 音吉!MEG(吉祥寺)
2023/12/31 Art x Jazz M’s(国分寺) with 坂本千恵(p)
2024/2/4 レディジェーン(下北沢)
2024/3/29 add9th(狛江)
2024/4/12 Art x Jazz M’s(国分寺) with 坂本千恵(p)
2024/4/26 スウィートレイン(中野) with 坂本千恵(p)
2024/6/23 レディジェーン(下北沢) with 清水一登(p)
2024/8/31 Art x Jazz M’s(国分寺) (台風10号接近につき中止)
2024/10/26 レディジェーン(下北沢) with 太田恵資(vn)