「口」を意識する→オーディオブックリーダー養成講座のススメ
自分を表現することはかなりできるようになってきたけれど、
技術面がまだまだ未熟でなんとかしたい、というゼミ生のため、
水城演出が提案したのは、「口」の意識。
口や顎の構造を図解、それを認識することで、
出てくる声がガラリと変わりました!
それまで、少し緩い、子…
自分に嘘をつかない
基本は共感とマインドフルネス
音声・文章コンテンツの自作・発表をサポート
自分を表現することはかなりできるようになってきたけれど、
技術面がまだまだ未熟でなんとかしたい、というゼミ生のため、
水城演出が提案したのは、「口」の意識。
口や顎の構造を図解、それを認識することで、
出てくる声がガラリと変わりました!
それまで、少し緩い、子…
次期「現代朗読基礎講座」(全6回)が、2013年5月11日(土)からスタートします。
◎日時 2013年5月11日、18日、25日、6月1日、8日、15日(全6回)
すべて土曜日、10:00〜13:00
◎場所 現代朗読協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 22,000円(教材費含む)
「まったくの初心者だけど、朗読やってみたい! でも放送(伝達)技術を習いたいわけじゃない」
「習ってたけど、だんだんつまらなくなってやめてしまった。でもほんとは読みたい」
「朗読会にも出ているが、なんとなく今のやり方は違う気がする」
と思っていたみなさんに自信を持ってオススメします!
「目からウロコ」の現代朗読の考え方&方法を、教材を用いながら基礎からじっくり学べます。
教材「音読・群読エチュード」(ラピュータ刊/1,890円)
学校の先生や、教室などを開いて朗読指導をしている方も、楽しい学びの場を作るために「基礎講座」受講をお勧めします。
※詳細とお申し込みはこちらから。
前期の受講者の感想を紹介します。
◎一般的な読み方だけでなく、芸術の歴史から色々な知識を得ながら、皆で色々読んだりとても楽しかったです。また単純に読むだけでなく、壁まで用意されていたのもすごく良かったです。最終回で気が付かない内に、その壁を越えられていたのもびっくりでした。正直朗読を始めたばかりにも関わらず行き詰まりを感じる事もありましたが、皆さんそれぞれの個性あふれる魅力もあり、引っぱっていただきました。一回だけ欠席しましたが、大変楽しい講座でした。
◎ここへ来ると新しい気づきが必ずあります。体を動かしながら声を出すことで、起きる微妙な体の中に起きる変化、声の変化、心の変化というものを感じることが楽しみです。続けて参加したいと思います。
◎今回は大変バリエーションに富んでいた。ガチガチの基礎からパフォーマンスまで。立ったり座ったり朗読がバージョンアップできてよかった。感受性のエチュードは衝撃的。受け取れる感覚をもっと身につけたい。
◎なかなか充実感がありました。テーマを決めて、最終的にもりあがるのはいい感じでした。発声や練習もそれにつながるので、目的感ありました。
◎基礎講座では毎回、呼吸法を必ず行なうので、呼吸法の大切さをつきつけられた気分です。呼吸法を一人で行なう時にも「丁寧」に行なうことを心がけたいと思います。
東京世田谷を拠点に活動する現代朗読協会は、東京以外にも全国的に注目を浴び、公演やライブ、ワークショップ、講座には遠隔地からわざわざ参加される方が絶えません。
このたび、愛知周辺の方の声を受け、現代朗読協会も縁の深い名古屋で現代朗読の一日ワークショップを開催することになりました。
(開催場所が変更になりました。ご注意ください)
朗読のみならず既成の表現にゆきづまったり物足りなさを覚えている方には、ユニークな方法論で時代を切りひらきつつある現代朗読の世界を知ることで、表現力を進化&深化させる足がかりにしていただけるものと思います。
◎開催日時 2013年5月5日(日/こどもの日) 10:00~15:00
◎開催場所 ナディアパークビジネスセンタービル19F
名古屋市中区栄3-18-1
◎参加費用 8,000円
◎定員10名
◎申し込み先
こちらのフォームから「名古屋ワークショップ」と明記してお申し込みください。
ワークショップ講師はメイン講師のほかに、現代朗読の実演者数名があたります。
◎メイン講師・水城ゆうについて
東京世田谷在住。作家、音楽家。現代朗読協会主宰。
朗読と音楽による即興パフォーマンス活動を1985年から開始。また、1986年には職業作家としてデビューし、数多くの商業小説(SF、ミステリー、冒険小説など)を出している。しかし、現在は商業出版の世界に距離を置き、朗読と音楽を中心にした音声表現の活動を軸としている。
2006年、NPO法人現代朗読協会設立。ライブや公演、朗読者の育成活動を継続中。数多くの学校公演では脚本・演出・音楽を担当。
名古屋では2008年よりウェルバ・アクトゥスの活動をおこない、2009年には「Kenji」(芸術創造センター)、2010年には「Ginga」「特殊相対性の女」「沈黙の朗読」(芸術文化センター)などの公演実績を持つ。
詩、小説、論文、教科書などの執筆も精力的におこなっている。
現代朗読協会の朗読体験講座、2013年5月のお知らせです。
5月の体験講座ですが、連休があるために4月27日に繰り上げて開催します。
まったく朗読をやったことがない/ちょっとやってみたいと思っている人や、すでに経験はあるけれど朗読表現に行き詰まりを感じているような方のためにおこなう、ワークショップ形式の体験講座です。
◎日時 2013年4月27日(土)10:00〜13:00
◎場所 現代朗読協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 2,000円
※詳細とお申し込みはこちらから。
◎こんなことをやります
現代朗読というあたらしい表現を理解するために、実際に身体を動かしたり声を出したりして体験していただきます。
毎回、下のようなプログラムからいくつかをピックアップしてご紹介する予定です。
・朗読のための声と身体の準備。
・朗読するときに起こっているさまざまなことの理解。
・朗読のためのテキストの扱い方、読み方と、朗読実践。
・柔軟でとらわれない表現をおこなうためのヒント。
前回の参加者の声はこちらに掲載しました。
オーディオブック制作のアイ文庫では、長く聴き継がれるハイクオリティのオーディオブックの制作と、唯一無二の表現者としての読み手の育成をおこなっています。
日程の都合がつかない方は、個人セッションも受け付けていますので、気軽にお問い合わせください。
★次世代オーディオブック・リーダー養成講座
声優/ナレーター/朗読者のためのステップアップ講座
申込みはこちら
【概要】
オーディオブックの読みや収録についてのノウハウとトレーニング法を一日で集中講義します。
その後1〜2か月のトレーニング期間をおいて最終収録実習をおこないます。
【詳細】
(1)集中講座
以下の日程で開催される一日集中講義を受講していただきます。
とても居心地のいい世田谷の築78年の古民家で、一日じっくり学んでいただきます。
◎日時 2013年4月22日(月)10:00〜17:00
◎場所 羽根木の家(世田谷区/京王井の頭線新代田駅からゆっくり歩いて4分)
◎受講料 33,000円
(2)トレーニング
収録用の作品を選び、(1)の内容の習得と(3)にむけての1〜2か月間のトレーニング期間を設けます。
期間中は、メールによる指導と面談(またはスカイプ、希望者のみ)で習得状況をチェックします。質問等も自由です。
理解度や技術レベルによっては現代朗読協会のワークショップに参加していだくこともあります(参加費免除)。
(3)最終収録実習
アイ文庫のスタジオにて収録実践をおこないます。
収録後、数日以内に評価結果をご連絡いたします。
その結果を受けて、
A) アイ文庫オーディオブックの本収録へと進む
B) 現代朗読協会での実習を継続(ゼミ生登録)する
C) 独立して自主制作
という選択肢をご自分でえらんでいただきます。
【本講座の特徴】
オーディオブックリーダー(朗読者)は、ナレーターでもアナウンサーでもなく、声優でもない、新しい声のジャンルです。
オーディオブックの朗読にチャレンジしてみたいと思っている人が多いなか、その読みや収録についてのノウハウをしっかりとアドバイスしてくれる場所はそう多くありません。
そんななかで、アイ文庫は、今後も長くネットコンテンツとして流通していくに耐えるクオリティを持ったオーディオブックの制作とリーダーの育成にあたっています。
単なる音読コンテンツではなく、「朗読作品」としてのオーディオブックを読める人を育てることが目的です。
文芸朗読、詩曲集、教科書朗読、英語朗読などで業界随一のクオリティと実績を持つアイ文庫のオーディオブック・ディレクターが指導にあたります。
ただ読むだけではない、情報伝達のみにとどまらない、「表現」の域にまで踏みこんだクオリティの高いオーディオブック収録ができるハイレベルなリーダー(朗読者)の育成をめざします。数多くの実践的なノウハウを盛りこんだプログラムで予定しています。
アイ文庫のツイッターも参考にしてください。
本日19日20時および明日20日13時、いよいよ「KIDS IN THE DARK 3~春の宴」開演です!
本日分は2日前をもって満席となりました。お断りした皆様、申し訳ございません!
明日、またはKIDS 4(7月27日)にぜひ!!
明日20日の昼の部はまだお席に少しですが余裕ございます。
…
2013年4月6日。
午後、体験講座。
定員いっぱいの10名の申し込みがあって、3名のキャンセル、1名の無断欠席で、6名の参加。
午前中のライブワークショップからひとり参加して、7名で開催。
一般的にかんがえられている従来朗読と現代朗読の本質的な違いについての解説。
現代朗読協会の運営体制。
表現としての現代朗読の基礎的なかんがえかた。
そういったものを説明したあと、呼吸法や発声、エチュードと進んでいった。
今回は朗読の経験者はほとんどいなかった。
表現活動すらほとんどやったことのないという人が関心を持ってくれたのには、驚くと同時にうれしくもある。
なにも表現をやったことがないという人が、ある日突然表現をやってみたいと思い立ち、そして現代朗読にたどりつくという人が多くなっているのがおもしろい。
エチュードのあとはひとりずつ読んでもらったり、演出部のてんちゃんと卯妙さんに即興パフォーマンスをやってもらったりした。
たくさんのことを伝えたが、今日も「伝えすぎ」だったかもしれない。
消化不良を起こす人もいたかもしれない。
(主宰・水城ゆう)
今日の参加者のアンケートから、抜粋して紹介する。
◎想像した以上に言葉を使った表現の多様さに驚きました。伝達手段でもあり、表現手段でもあり、存在そのものでもある言葉について、色々と考えさせられる時間でした。まずはこれからは誰かに向かって言葉を発する時、もっと色々な事に意識を向けてみたいと思います。
◎「文章の内容ではなく、読み手を伝える」ということが大きな発見でした。ただ「読むことが楽しい」だけでなく、周囲とのつながりの中で「表現」できるようになりたい、と思いました。
◎みんなで読む場合と、ひとりで読む場合で、自分自身を出せることができる範囲が違っているように感じた。ワークショップでは複数名で読むので自分がかくれているように感じて安心しているのかもしれないと思う。
◎マインドフル、呼吸、自分の内なる無意識を意識する事など、アプローチの素材が全ていつも自分が意識して来た事だったので、お話がうれしかったです。
◎普段、触れることのなかった世界に触れられて、楽しかったです。今回のことを吟味して、自分にどう活かせるのかしっかり考えていきたいです。
(C)2013 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
子どものころの七つの話「七 砂場の糞の話」
作・水城ゆう
男の子が多いときは山に行ったり河で遊んだりしたが、女の子と遊ぶときは家のなかか近所のことが多かった。
隣の家はハタ屋で、年中休みなくガシャコンガシャコンと機織りの音がひびいていた。そこの娘は私と同い歳で、よくいっしょに遊んだ。うちに来て、母の作った焼きリンゴを一緒に食べたり、庭でままごとをしたりした。
ある日、近所の砂場のようなところで遊んでいた。堤防の下の空き地のようなところで、そんなところにわざわざ砂場が作ってあるはずもなく、たぶんたまたま砂地がそこにあって、子どもの砂遊びの場所になっていたということだったのだろう。
春の暖かい日で、堤防の土手に生えているしだれ柳の新緑が砂場の上をはいていて、気持ちがよかった。私とハタ屋の娘は、その下で砂でなにかを作ってあそんでいた。
私の指がなにか細長い、やや柔らかい感触のものをさぐりあてた。なんだろうと思って、つまんで見たが、砂にまみれてそれがなんなのかよくわからない。指で押しつぶすと、簡単にぐにゃりとつぶれてしまった。
ふと私は思いあたり、それを放りだすと、指を鼻に持っていった。
強烈な臭気を感じ、私はあわてて家に走りもどった。洗面所で手を洗い、指のにおいをかいだ。においはまだ消えていなかった。砂場の物体は犬のものか猫のものかわからないが、動物の糞にちがいなかった。
粉石鹸を指にまぶし、ごしごしとこすり、なんどもなんども洗った。においはなかなか消えなかった。
その日は風呂にはいったのに、風呂からあがってもにおいはこびりついていた。翌日もにおいは消えなかった。何日もにおいは消えなかった。その指についたにおいはいま現在にいたるまで消えていない。
(C)2013 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
子どものころの七つの話「六 夏の話」
作・水城ゆう
子どものころに住んでいた家の庭には小さな池があり、井戸の水が引かれていた。井戸の水は年中ほぼ一定の水温で、夏は冷たく、冬は暖かく感じた。
夏には畑でとれたもぎたてのトマトや西瓜《すいか》がよく池に浮かんでいた。とくにトマトは毎日のようにおやつがわりに食べていた。よく冷えた丸のままのトマトにかぶりついて、汁をしたたらせながら食べる。いまのトマトとちがって青臭く、酸っぱかったが、凝縮された味と冷たさが贅沢だった。
夜になると蚊帳《かや》をつって、そのなかで眠った。
縁側をあけはなした座敷に蚊帳をつっていたのは父のアイディアだったろうか。風がとおって、もちろんエアコンなどというものはなかったが、涼しくて気持ちよかった。そもそもいまほど暑くなかったような気がする。夜になっても三十度を超えているなどという日はなかったと思う。
庭にむかってあけはなしてあるので、蚊はもちろん、いろいろな虫が舞いこんでくる。うちは河と山が近かったので、蛍もたくさんやってきた。昼間に遊びすぎて疲れはて、眠くて朦朧《もうろう》となった眼に、蚊帳の外を飛び交う蛍の光がうつっていたのは、ほとんど幻覚に近いような記憶として残っている。
蚊や蛍のほかにも、蠅や蛾ももちろん飛んできた。蛾は電灯を消すとすぐにどこかに飛んでいってしまったが、蠅はなにが気にいったのか蚊帳のまわりをしばらくぶんぶん飛んでいたりしてうるさかった。
カナブンやクツワムシが飛んでくることもあった。朝起きたら立派な角《つの》を持った雄《おす》のカブトムシが蚊帳にとまっていて喜んだこともあった。カスミ網に似ていたせいだろうか、雀《すずめ》やツグミが蚊帳に引っかかったこともあった。大きなカルガモとカワウが飛びこんできたときには、さすがにびっくりした。
たぶんボスだろう、巨大なニホンザルが蚊帳に引っかかって暴れまくり、網をずたずたに引きさいて逃げていったときには、父も私もかんかんになってしまった。つかまえてこらしめてやろうとしたのだが、追いかける私たちをキッと見返した眼光が妙に鋭く、思わずひるんで足をとめてしまった。そのボス猿の口には、池から拾ったらしいトマトがくわえられているのが見えた。
(C)2013 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
子どものころの七つの話「五 蜂に刺された話」
作・水城ゆう
子どもら数人と山へ遊びに行った。私が子どものころは子どもたちは小さな子も大きな子も、まちまちの年齢の子が近隣でひとかたまりのグループを作って遊んでいた。山へ遊びに行くときも、大きな子が小さな子を引き連れる形で行くのだった。
アケビかなにかを採りに行ったのだと思う。木によじのぼったり、薮をがさがさ歩いているうちに、たぶんうっかり蜂の巣があるところに踏みこんでしまったのだろう。私めがけて蜂が飛んできて、それを手で追い払おうとした。スズメバチのような大きな蜂ではなく、アシナガバチかなにかだった。気が立っている蜂に手首のあたりを刺されてしまった。
たちまち真っ赤に腫れて泣き叫びたくなるほど痛かったが、とっさに大人から聞いた話を思いだした。蜂に刺されたときは小便をかけるといい、アンモニアが毒を消してくれる、というものだ。いまではその俗説は迷信であり、アンモニアが消毒どころかむしろ衛生的に問題があるのでやらないほうがいい、ということがわかっている。しかし、そのときはそう信じていたのだ。
私はすぐにズボンをおろし、腫れた手首にむかって小便をかけた。信じられないことに、痛みはたちまち消え、腫れもおさまってしまったのだ。まぎれもない真実の記憶として、私のなかにそのことが残っている。
ついでに小便はさまざまなものを消してくれる効果があることを私は発見した。あるとき、神社で遊んでいると、犬の糞を発見した。なにげなく私はそれに小便をかけてみた。するとたちまち犬の糞が跡形もなく消えてしまったのだ。
その後、私はいろいろなものを小便で消した。親に見せたくない悪い点数の答案用紙、壊れてしまったおもちゃ、うっかり寝小便をしてしまったときも自分の小便でそれを消したりもした。
(C)2013 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
子どものころの七つの話「四 ミミズの話」
作・水城ゆう
私がもうすこし大きくなって、父とではなくひとりで釣りにでかけるようになったころの話だ。たぶん小学校の高学年、五年生か六年生だったと思う。
父と釣りに行くときはそのへんの畑をほじくりかえしてとったドバミミズを持って行ったが、ひとりで行くときは釣果をあげるためにミミズの品質にこだわった。私の釣りのねらいは鮒で、近所の河川や沼にはヘラブナではなくマブナしかいなかった。そしてマブナはシマミミズが最高の釣り餌なのだった。
私はシマミミズが大量にとれる場所を知っていた。それは祖父が経営する自動車修理工場の裏手にある牛舎の脇で、牛の糞を堆肥にするために大量に積みあげてあった。かなりの臭《にお》いだったが(よく近所から苦情が出なかったものだ。いや出ていたのかもしれない)、臭《くさ》さもなんのその、良質の釣り餌確保のためなら牛の糞の臭《にお》いなどなんでもなかった。
牛糞の山を少し掘ると、シマミミズがぎっしりとからみあうようにうごめいていて、ものの数分で持参した味の素の空き缶がいっぱいになった。つやつやと太った最高のシマミミズで、私はそれで何百匹マブナを釣ったことか知れない。
中学三年生くらいのころ、授業が退屈で、体育の時間にサボって学校を抜けだしたことがある。その際、だれもいなくなった教室の女生徒の机のなかから弁当箱を盗みだして、学校の外で食べてしまった。まだ昼休み前の時間だったのだ。
空っぽになった弁当箱に、私はなにを思ったのか、牛舎の脇に行き、例のシマミミズをたくさん詰めこんで蓋をし、ハンカチでしっかりとくるんで女生徒の机のなかにもどしておいた。
そのあとどうなったか。いまだと完全な犯罪行為であり(当時でもそうか)、私は少年院送りになっていたことだろう。
(C)2013 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
子どものころの七つの話「三 父と釣りに出かけた話」
作・水城ゆう
子どものころに住んでいた家の前には大河が流れていて、それは堤防でせき止められているのだが、昔のなごりだろう、堤防の外側にも小さな支流や沼のようなものがたくさんあった。
家の近所にも池というか沼というか水たまりのようなものがあって、それは「どんぶ」と呼ばれていた。魚釣りに最適な水場だった。
高校の教員をしていた父は休みの日になると、よく私を連れてどんぶに魚釣りに出かけた。ホンダのカブに乗り、私はうしろの荷台ではなく父の前の股の間にハンドルにしがみつくようにしてまたがって、二人乗りで出かけた。釣り道具はおもちゃのような竹竿と簡単なしかけ。餌はそのへんの畑をほじくってつかまえたミミズ。
どんぶにつくと、ふたりならんでどんぶのふちにしゃがみ、草むらの切れ目から竿を出して釣りをはじめる。釣りといっても、釣れるのはほとんどがちっぽけな鮒《ふな》で、たまにハヤか鯰《まなず》が釣れることもあった。鯰が釣れると大変で、鯰は鰓《えら》のところにトゲみたいなぎざぎざしたものがあって、うっかりすると指を切ったり怪我をする。そして鯰は仕掛けを深く飲みこんでしまう癖があるので、針をはずすのもむずかしい。そういうときは仕掛けをあきらめて糸を切らなければならない。
その日は釣りをはじめてもあたりがまったくなく、数時間がたっても浮きはぴくりとも動かなかった。よく晴れた、暑い日だったように思う。父も私もダレはじめていて、もうそろそろ家に帰ろうかとかんがえていた。
そして実際に帰るために父が腰を浮かしかけたとき、いきなり浮きがシュポッと水中に消えた。父があわてて竿を取り、思いきりしゃくりあげた。
竿がグンとしなり、糸がさらに引きこまれた。
「お、お、えけぇぞ(大きいぞ)!」
父が興奮ぎみに叫び、竿をさらに立てて獲物を引きよせようとした。しかし、まったく獲物はあがってこず、糸を切られないように父はどんぶのへりを、草をばさばさ蹴倒しながら右往左往した。
どのくらいたったろうか、私には数十分にも思えたが、なんとか糸を切られないようにだましすかしのやりとりがあったあと、獲物がようやくこちらに近づいてきた。父がひときわ大きく竿をしゃくりあげると、いきなりどんぶのなかにじゃぶんと踏みこんでいった。水中に両腕を突っこみ、獲物をとらえてザバアッとすくいあげた。
大きな魚が岸へと投げあげられた。見たところ、一メートルはあろうかという鯉だった。しばらくビチビチとはねていたが、すぐにおとなしくなった。
父はその日、いつものように金魚すくいのちっぽけなビニール袋しか持ってきていなかった。それを鯉の口にかぶせ、カブの荷台に鯉をくくりつけて、家路についた。
その巨大鯉はしばらく私の家の小さな池でゆうゆうと泳いでいたが、台風で堤防が決壊してあたり一帯が浸水したとき、流れていっていなくなってしまった。いまごろ、どこでどうしているのだろう。生きていればもう五十歳以上だが、なんとなくまだ生きてそのあたりを仕切っているような気がしている。
(C)2013 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
子どものころの七つの話「二 川に流された妹の話」
作・水城ゆう
うちの前には大きな河が流れていて、うちは堤防の下に建っていた。
いまでこそその河は上流にダムができて、水流はちょろちょろと少なくなってしまい、しかも生活排水が周辺から流れこむものだからどぶ川のようになってしまったが、私が子どものころはとうとうと青黒い水がながれる立派な河だった。
しかし、いまから書く妹が流された話は、その河のことではない。河の堤防の下に建っている私の家の前に、小さな用水路のような川が流れていた。これはたぶん、堤防を作るときに大河《おおかわ》の支流を残して、うまく生活用水として使えるように整備したものだろう。幅が一メートルくらいで、石垣を積んでふちがくずれないようにしてあった。
ところどころに石垣をえぐって石段が作られていて、そこで洗濯をしたり水をくんだりできるようになっていた。
小さな川とはいえ、水はしっかりと流れていて、深さはたぶん三、四〇センチはあったろう。私はよくその川に裸足ではいって、カワニナやトンボのヤゴをつかまえたりして遊んでいた。
妹は私と四歳はなれていて、それはたぶん私が五歳くらいのときだったから、まだ歩きはじめて間もないころの事件だった。私がその川べりで遊んでいると、突然母が聞いたこともないような悲鳴をあげた。なにごとかと見ると、
「もと子が、もと子が流されてる!」
と、川のへりで半狂乱になっている。あわてて駆けつけると、たしかに私の妹が川に沈んで、仰向きになったまま流されている。水面下に見える妹の顔はなにごともないかのように目も口もあいたまま、空を見上げている。
母が川べりにはいつくばって妹を水の下から引っ張りあげようとしたが、妹の身体は川をまたぐ小さな橋の下にくぐりはいってしまった。
騒ぎを聞きつけて、たまたま近くにいた私の叔父、つまり母の弟がかけつけてきた。叔父は二十歳すぎの頑健な若者で、さすがに機敏だった。そのままずぶりと川に飛びこむと、流れのなかに立って、橋の下から出てきた妹の身体をすぐにざっぷりと引っぱりあげた。大量の水しぶきをまき散らしながら、妹は川べりへ引きあげられた。
妹は息をしていなかった。意識があるのかどうか、たっぷりと水をのんでいることはまちがいない。
叔父が妹の足首をつかんでさかさまにぶらさげた。そして上下に振りながら背中をばんばんと叩きはじめた。
すぐに妹の口から大量の水が吐きだされ、やがて咳きこみながら弱々しい泣き声が聞こえてきた。ああよかった、生き返ったんだな、と私は思った。
その事件は私にも衝撃的で、とくに目と口をあいたまま仰向けに流されていく妹の顔は印象的だった。そして数日後、私も川に流されてみることにした。大河で赤ん坊のころから遊んでいたせいで、私は水遊びが好きだった。水がこわいということもない。石段から川にはいると、息をとめて流れに身体を乗せてみた。
流れは意外に速く、私の身体はあっという間に運ばれていった。顔をあげると、目の前に黒く口をあけた暗渠《あんきょ》の入口が見えた。そういえば、川は私の家の前からすこし行ったところで暗渠のなかへと消えていて、その先がどこにつながっているのか知らないのだった。
あわてて川から出ようとしたが、水流は強く、立ちあがることができなかった。私はそのまま真っ暗な暗渠のなかへと呑みこまれてしまった。
そのあとのことの記憶はいまだにない。
(C)2013 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
子どものころの七つの話「一 風呂の焚きつけの薪《たきぎ》の話」
作・水城ゆう
私が小学校にあがる前まで住んでいた家の風呂は、薪で炊いていたことを覚えている。
風呂の外に焚き口があって、そこに薪を入れて火を焚き、お湯をわかしていた。なにしろ幼いころのことなので詳細は覚えていないが、ガスや、もちろん現在のように自動の湯沸かし器で焚いていたのではなかった。
いまになって気になるのは、風呂を焚くための薪はどうやって調達していたのか、ということだ。
そのことを、先日、母に訊いてみた。
母は肺ガンの手術を二度に渡って受けたばかりで、右肺も左肺も、その一部を切除した。帰省するたびに話を聞いてやるが、とにかく自分の病気の話ばかりして、自分がいかにつらい大変な思いをしたのかを息子(私だが)に訊いてもらいたい様子だった。私は自分でも自覚しているが、けっしてよい息子ではなく、これまで心配ばかりかけさせてきたので、せめていまは母の話を聞いてやりたいと思うのだが、際限のない母の肺ガンの話はうんざりしてしまうことがあるのが正直なところだ。
肺ガンの話が一段落ついたときに、昔の風呂の話を訊いてみた。とくに薪の話だ。
「薪で風呂を焚いてたよね」
「うん」
「外に焚き口があって、そこに薪をくべて焚いてたよね」
「うん」
「薪はどうやって調達してたの? 親父が薪割りしてた姿なんて見たことないけど」
私の父は十年前に亡くなっている。
「もらってた」
「だれから」
「地主から」
聞けばこういうことだったらしい。
高校の教師をしていた父はまだ若いころにがんばって家を建てることにした。とはいえ、土地まで買う資金はなかったらしく、土地を借りていわゆる上物《うわもの》だけを建てた。私はその家で生まれた(ほんとは近くの病院だが)。
家が建っていたのは大きな河の堤防の下で、背後には山が迫っていた。低い山だが、それでも幼い私にはそびえたっているように思え、夕方には早々と日が沈むのがいやだった。
その山か、あるいはそのつづきの山なのか、とにかく地主は山も所有していて、木こりの仕事もしていた。農家なのだが、農作業のほかにも山に木を植えたり、伐り出したり、山仕事もしていた。山は手入れをしないと荒れる。下刈りしたり、間伐するのだが、そのたびに薪や焚き付けが大量にできる。それを時々束にして、母にくれたらしい。
母はまだ二十代中頃の初々しい新妻で、近所の人からなにかと親切にしてもらったとすこし自慢そうにいった。
家の軒下には大量の薪がいつも積んであって、古いものから風呂の炊きつけに使う。新しい生木は湿っていて燃えにくいからだ。時々私も焚きつけを手伝った。
藁でくくった薪の束をほどくと、なかからいろいろな生き物が出てきた。一番多いのは蜘蛛。それから蓑虫。カマキリの卵が産みつけられていることもあった。春先でちょうど孵化のタイミングと合ったのだろう、束のあいだから大量のミニカマキリが湧いて出てきたときには驚いた。たぶん三百匹くらいはいただろう。薪をほどいた私の腕やら胸やら顔やらにわらわらとはいのぼってきて、あげくのはては髪の毛のなかにはいりこんだり、鼻の穴にもぐりこんだりしてきたので、くしゃみが止まらなくて困った。
ほかにもトカゲやら蛇やら、百舌鳥《もず》や山雀《やまがら》の巣が出てくることもあった。巣のなかには卵や孵化したての赤裸《あかはだか》のヒナがいて、それを蛇が丸呑みにしようとしていることもあった。
オーディオブック制作のアイ文庫では、長く聴き継がれるハイクオリティのオーディオブックの制作と、唯一無二の表現者としての読み手の育成をおこなっています。
日程の都合がつかない方は、個人セッションも受け付けていますので、気軽にお問い合わせください。
★次世代オーディオブック・リーダー養成講座
声優/ナレーター/朗読者のためのステップアップ講座
申込みはこちら
【概要】
オーディオブックの読みや収録についてのノウハウとトレーニング法を一日で集中講義します。
その後1〜2か月のトレーニング期間をおいて最終収録実習をおこないます。
【詳細】
(1)集中講座
以下の日程で開催される一日集中講義を受講していただきます。
とても居心地のいい世田谷の築78年の古民家で、一日じっくり学んでいただきます。
◎日時 2013年3月26日(火)10:00〜
◎場所 羽根木の家(世田谷区/京王井の頭線新代田駅からゆっくり歩いて4分)
◎受講料 33,000円
(2)トレーニング
収録用の作品を選び、(1)の内容の習得と(3)にむけての1〜2か月間のトレーニング期間を設けます。
期間中は、メールによる指導と面談(またはスカイプ、希望者のみ)で習得状況をチェックします。質問等も自由です。
理解度や技術レベルによっては現代朗読協会のワークショップに参加していだくこともあります(参加費免除)。
(3)最終収録実習
アイ文庫のスタジオにて収録実践をおこないます。
収録後、数日以内に評価結果をご連絡いたします。
その結果を受けて、
A) アイ文庫オーディオブックの本収録へと進む
B) 現代朗読協会での実習を継続(ゼミ生登録)する
C) 独立して自主制作
という選択肢をご自分でえらんでいただきます。
【本講座の特徴】
オーディオブックリーダー(朗読者)は、ナレーターでもアナウンサーでもなく、声優でもない、新しい声のジャンルです。
オーディオブックの朗読にチャレンジしてみたいと思っている人が多いなか、その読みや収録についてのノウハウをしっかりとアドバイスしてくれる場所はそう多くありません。
そんななかで、アイ文庫は、今後も長くネットコンテンツとして流通していくに耐えるクオリティを持ったオーディオブックの制作とリーダーの育成にあたっています。
単なる音読コンテンツではなく、「朗読作品」としてのオーディオブックを読める人を育てることが目的です。
文芸朗読、詩曲集、教科書朗読、英語朗読などで業界随一のクオリティと実績を持つアイ文庫のオーディオブック・ディレクターが指導にあたります。
ただ読むだけではない、情報伝達のみにとどまらない、「表現」の域にまで踏みこんだクオリティの高いオーディオブック収録ができるハイレベルなリーダー(朗読者)の育成をめざします。数多くの実践的なノウハウを盛りこんだプログラムで予定しています。
アイ文庫のツイッターも参考にしてください。