ふたつの夢「ひとつめの夢」

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  ふたつの夢「ひとつめの夢」
                            作・水城ゆう

 家族そろってヘリコプターに乗ることになった。
 ヘリコプターに乗るのは生まれて初めてのことだ。家族全員が生まれて初めてヘリコプターに乗るのだ。
 ヘリコプターは私が通っている小学校の校庭に降りていて、乗りたい者が順番にならんで乗りこむのを待っている。
 ヘリコプターは軍用のものらしく、ボディが迷彩色に塗られていた。それがひっきりなしに飛び立ったり、着陸したりして、人々を乗降させている。
 家族連れが多い。
 私も父と母、私と妹の一家四人で列にならんだ。私たちの前には三百人くらいの人がいるように見えた。いつになったら乗れるんだろうと、私は心配になった。そして少しおしっこをしたいことにも気づいた。乗れるようになるまでおしっこを我慢できるだろうか。
 私たちの前には太った家族がいた。おなじ四人家族で、ただし子どもはふたりの女の子。両親もふたりの子どももとても太っている。たぶん四人合わせた体重は四百キロはあるにちがいない。そんなに太った一家を乗せてもヘリコプターは平気なのだろうか、私たちが乗る前に墜落して私が乗れない事態になるのはいやだな、と利己的なかんがえが浮かんできた。
 それにしても、私が通っている小学校でこのふたりを見たことはなかった。これほど目立って太っているふたり姉妹がいたら、絶対に知っているはずなのに。よその小学校からわざわざヘリコプターに乗りに来たのだろうか。その強欲な感じになんとなく嫌な気持ちになってしまった。
 そしたらとたんにヘリコプターに乗りたくなくなってきた。
 ちょうどヘリコプターが乗客を乗せて飛びたっていくところで、ものすごい砂埃が舞いあがり、列をなぎたおさんばかりの強風を吹きかけてきた。私は埃を避けて薄目をあけ、それでも飛びたっていくヘリコプターを見ていた。
 上昇していくヘリコプターのさらに上空に、ぽつんと小さな点のように、空をゆっくりと横切っていく飛行機の影が雲の合間に見えた。私はとたんに、どうせ乗るならヘリコプターなんかではなく飛行機のほうがいいというかんがえに取りつかれた。
「父さん、ぼく、ヘリコプターより飛行機に乗りたい」
 すると父と母が同時にきっとした目で私を見た。しかられたような気がして、私は妹のほうに目をそらした。妹も私をきっとした目つきでにらんでいる。
 私は言い訳するようにつけくわえた。
「でもいまはヘリコプターでいいな。ヘリコプターに乗りたい」
 父がこたえた。
「おまえは飛行機のほうがいいのか」
「ううん、ヘリコプターでいいよ」
 私は急に膀胱がぱんぱんに張っていることに気づいた。
「飛行機のほうがいいんだな」
「別にどっちでもいいけど、いまはヘリコプターでいい」
 父の目は私の心のうちをするどく見すかすようだった。
「わかった。ヘリコプターはやめにして、飛行機に乗ることにする」
「え、いいよ、ヘリコプターで」
「いや、飛行機だ」
 父がそういった瞬間、私たちの前にならんでいた人々の姿がかき消え、目の前に巨大なジャンボジェット機がどすんと現れた。
 いったいどこから現れたんだ、といぶかる間もなく、タラップを父と母と妹がのぼりはじめたので、私もあわてておしっこをがまんしながらタラップをのぼった。
 飛行機のなかはがらんとしていて、座席がひとつもなく、窓もなく、まるでトンネルのようだった。窓はなかったけれど、壁全体が光っていて、まぶしいくらい明るかった。しかし、窓がないとせっかくの景色が見られないと思って、残念な気持ちになった。そもそも、どこに座ればいいんだろう。便所はあるんだろうか。おしっこがしたくてたまらない。
 がらんとした飛行機のなかに、ぱたぱたという物音が響いていた。音のするほうを見ると、なにやら空中に浮かんでいる。ふわふわと不安定に上下しながら移動している。
 よく見ると、それはミニチュアのヘリコプターで、迷彩色に塗られていた。模型のヘリコプターをだれかが操っているのだろう。それにしてもなぜ飛行機のなかにヘリコプターが?
 ぱたぱたと不安定にホバリングするヘリコプターを前に立ちすくんでいる父と母を押しのけ、私はもっとよく見ようと近づいた。ヘリコプターのほうも私に近づいてきた。不思議にこわくはなかった。
 ヘリコプターが私の目の前でとまったので、なかまでよく見ることができた。ヘルメットをつけたパイロットが小刻みに操縦桿を動かしているのが見えた。後部座席にいる乗客たちまでよく見えた。
 後部座席にひしめくように座っているのは、あの太った四人家族だった。私のほうを見てびっくりしたような顔をしている。
 それを見たとたん、私の膀胱がはちきれた。

舞踏病の女

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  「舞踏病の女」
                            作・水城ゆう

 飛んでいる象に人が乗っているプリント柄の服を着て、あなたは踊りつづけている。
 回遊魚が泳ぎつづけるように、息をするのも忘れてあなたは踊りつづける。
 もちろん息はしているのだけれど、その息すらも踊りの一部であるかのようにあなたは踊る。

 時間さえあればあなたは踊っている。
 仕事の合間の休み時間にも、通勤中にも、家に帰ってからも。
 だれもいない会議室で、プラットフォームで、トイレで、湯船のなかで。
 キッチンで洗い物をしながら、あなたはステップを踏む。

 調子がいいときも悪いときも、風邪ぎみのときも花粉症のときも。
 重い病気にかかって入院していたときも、あなたは横になったまま踊りを夢想しつづけていたし、実際に身体はわずかに動いていたかもしれない。
 医師や看護婦や見舞い人に気づかれないほどかすかにではあったけれど。

 わたしはあなたのようには踊れないけれど、あなたを見ているうちに私も踊っているのかもしれない、ということに気づいた。
 足が悪くてあなたのようにステップは踏めないけれど、わたしは踊っている。
 ありがとう、わたしに気づかせてくれて。
 ありがとう、あなたのおかげで私もダンサーになれた。

 あなたにとって歩くことは踊ること。
 わたしにとっても歩くことは踊ること。
 あなたにとって座るのは踊ること。
 わたしにとっても座るのは踊ること。
 傘をさしたり、バッグを肩にかけたり、眼鏡をずりあげたり、クラリネットを吹いたり、あなたのおかげでいつもわたしは踊れるようになった。

 ご飯を食べるとき、あなたの箸がおどる。
 ご飯を食べるとき、わたしの箸がおどる。
 茶碗が踊る。
 ナイフとフォークが踊る。
 顎と歯が踊る。
 あなたと話すとき、あなたの唇が踊る。
 あなたと話すとき、わたしの唇が踊る。
 舌が踊る。
 顔面が踊る。

 象が空を飛ぶことを夢見るように、わたしもあなたも華麗なステップの時間を夢想している。
 わたしたちは踊ることに取りつかれた女。
 あなたもわたしも舞踏病の女。
 踊らずには生きていけない女。

The Woman of Tea

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  「The Woman of Tea」
                       作・岡倉覚三/水城ゆう

 茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々《じゅんじゅん》と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。

 小さな箒で畳を小刻みに掃くような音をたてて茶を泡立てる。さっさっさっさっ。これまでに何度も繰り返してきた動作なのに、この音が彼に聞こえていると思うといつも緊張する。音の調子で彼は私のこころの乱れを聴きとっているのではないかと心配して、茶筅の動作が乱れないように注意しているのに、注意すればするほど手先に余分な力がはいってしまって動作が乱れるような気がする。ささっさっさっ。この音を彼は聴いているのだろうか。私の勝手な憶測なのだろう、彼はそんなことを気にもとめずに仕事に没頭しているにちがいない。そうは思うのだけれど、彼のことが気になってこれほどまでに緊張してしまうのは、私が彼にたいしていまだに、結婚していらいずっと、二十年以上にもなるというのにひけめを感じつづけているせいにちがいない。

 茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人《てんじん》に関するわれわれのいっさいの見解を表わしているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主主義の真精神を表わしている。

彼は書斎の座卓に向かって正座し、黙々と仕事をつづけている。彼が仕事に使っているのは西洋ペンで、インキ壷にペン先をひたしては書きつづけている。ときおりペンを休め、肩肘をついて庭先をながめるが、その間もしきりになにかをかんがえているようだ。そうやってまたペンを動かしはじめる。ペン先からつむがれていく文字は私には読めない英国語で、彼は英国語をも流暢に話す。その巧みさはだれもおよぶ者がないほどだということを、私はいろいろな人から聞いている。無学な私が彼にひけめを覚えつづけていることのひとつの理由ともなっている。私が彼と結婚したのは、まだ十四歳のことだった。どうして学を身につけることができたろうか。

 日本が長い間世界から孤立していたのは、自省をする一助となって茶道の発達に非常に好都合であった。われらの住居、習慣、衣食、陶漆器、絵画等――文学でさえも――すべてその影響をこうむっている。いやしくも日本の文化を研究せんとする者は、この影響の存在を無視することはできない。茶道の影響は貴人の優雅な閨房《けいぼう》にも、下賤《げせん》の者の住み家にも行き渡ってきた。わが田夫は花を生けることを知り、わが野人も山水を愛《め》でるに至った。俗に「あの男は茶気《ちゃき》がない」という。もし人が、わが身の上におこるまじめながらの滑稽《こっけい》を知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく、浮かれ気分で騒ぐ半可通《はんかつう》を「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する。

茶筅を小刻みに動かし、充分に茶を泡立てる。先端からしずくが落ちないように茶筅をゆっくりと回しながら碗からはなし、脇に立てる。いまの音の乱れは夫に聴かれただろうか。さっさっささっ。茶柱虫という昆虫はこの茶をたてるようなかすかな声で鳴くという。しかし私は茶柱虫の鳴き声をいまだ聴いたことはない。夫は聴いたことがあるだろうか。聴いてみようか。大事な仕事をしている彼にそんなつまらない質問をするのはためらわれる。彼はまた来週にも横浜から出港する。今度はアメリカのボストンという街に行くのだそうだ。彼の頭のなかには茶柱虫のことなど想いうかぶすきまはないだろう。小さな盆に茶菓子と茶をのせ、私はおそるおそる書斎へと入っていく。

 よその目には、つまらぬことをこのように騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれぬ。一杯のお茶でなんという騒ぎだろうというであろうが、考えてみれば、煎《せん》ずるところ人間享楽の茶碗《ちゃわん》は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇《かわき》のとまらぬあまり、一息に飲みほされるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとてとがめだてには及ぶまい。人間はこれよりもまだまだ悪いことをした。酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。軍神マーズの血なまぐさい姿をさえも理想化した。してみれば、カメリヤの女皇に身をささげ、その祭壇から流れ出る暖かい同情の流れを、心ゆくばかり楽しんでもよいではないか。象牙色《ぞうげいろ》の磁器にもられた液体琥珀《こはく》の中に、その道の心得ある人は、孔子《こうし》の心よき沈黙、老子《ろうし》の奇警、釈迦牟尼《しゃかむに》の天上の香にさえ触れることができる。

 私が盆を畳の上に置くと、彼はすぐに気づいて身体をこちらに向け、ありがとうという。茶菓子を取って口にいれ、ゆっくりと味わう。菓子は練り菓子で、彼は歯を使わずに唇と上あごのあいだでつぶすようにしながら味わっている。その口の動きを私はしばらく見てから、あわてて目をそらす。濃い髭の間から見える唾液に濡れた唇の動きが、なにか見てはならない生々しいもののような気がしてしまう。その唇は私のものといってもいいというのに。その唇は私の夫のものなのに。

 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖《そで》の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮《さつりく》を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。

菓子を味わってから彼は無造作に茶碗をつかみ、茶をすする。彼がいま書いているのは『茶の本』なのだという。英国語で書いて、日本の茶の文化のすばらしさを世界に知らしめるという大切な仕事に取りかかっているのだ、と彼はいう。その本はニューヨークというところにある出版社から出版されるのだという。私の知らない世界。彼の世界。私の夫の私が知らない世界。さっさっさっ。

 いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。われわれアジア人はわれわれに関して織り出された事実や想像の妙な話にしばしば胆《きも》を冷やすことがある。われわれは、ねずみや油虫を食べて生きているのでないとしても、蓮《はす》の香を吸って生きていると思われている。これは、つまらない狂信か、さもなければ見さげ果てた逸楽である。インドの心霊性を無知といい、シナの謹直を愚鈍といい、日本の愛国心をば宿命論の結果といってあざけられていた。はなはだしきは、われわれは神経組織が無感覚なるため、傷や痛みに対して感じが薄いとまで言われていた。

 私にも私の世界がある。私のなかにも彼の知らない世界がある。彼はそのことを想像したことがあるだろうか。机に向かい、むずかしい本を読んだり書いたりしている彼。日本の美術教育のために日々奔走している彼。日本と外国を行ったり来たり、外国人と流暢な英国語で議論を戦わしたりしている彼。そのいかめしい顔の奥に、十四歳で結婚し、子どもを産み育て、家をまもり、ささいな日々のことをすみずみまで気にし、気にやんで生きているちっぽけな女の世界について、想像が浮かんだことはあるだろうか。いけない、こんなふうにかんがえては。彼はきっと無学でちっぽけで私のことも全部わかりかんがえていてくれるにちがいないのだから。このようにかんがえるいやしい私のことも、彼は全部つつみこんでかんがえているにちがいない。さっさっさっ。すべてをみすかされているのかもしれないと思うと、私は彼の前にいる身が縮んでいってしまうような気がする。

 西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみなさい。アジアは返礼いたします。まだまだおもしろい種になることはいくらでもあろう、もしわれわれ諸君についてこれまで、想像したり書いたりしたことがすっかりおわかりになれば。すべて遠きものをば美しと見、不思議に対して知らず知らず感服し、新しい不分明なものに対しては、口には出さねど憤るということがそこに含まれている。諸君はこれまで、うらやましく思うこともできないほど立派な徳を負わされて、あまり美しくて、とがめることのできないような罪をきせられている。わが国の昔の文人は――その当時の物知りであった――まあこんなことを言っている。諸君には着物のどこか見えないところに、毛深いしっぽがあり、そしてしばしば赤ん坊の細切《こまぎ》り料理を食べていると! 否、われわれは諸君に対してもっと悪いことを考えていた。すなわち諸君は、地球上で最も実行不可能な人種と思っていた。というわけは、諸君は決して実行しないことを口では説いているといわれていたから。

 私がたてた茶を飲みおえると、彼は身体の向きを変え、ふたたび座卓に向かって仕事をはじめる。彼の頭のなかでどれほどかむずかしく、私には理解のできない言葉やかんがえがうずまいているのか、私には知ることができない。しかし、私の眼にいま彼の姿が映っているように、彼の眼にも私の姿が映ることはあるだろう。彼がどれだけ私の知らない世界に行き、私の見ないものを見たとしても、彼はやはりここにもどってきて私の姿を眼に映し、私がたてた茶を味わうだろう。私はただそのことを思い、茶柱虫のようにかすかな存在であってもここにいて、この家にいつづけて、さやけき物音を立てながら生きつづけるだろう。さっさっさっ。さっさっさっ。

朗読者

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  「朗読者」
                            作・水城ゆう

 つづける。つづける。読みつづける。彼は読みつづける。彼は読みつづける。
 彼は読みつづける。老人に向かって。若者に向かって。少女に向かって。会社員に向かって。学生に向かって。浪人生に向かって。美大生に向かって。音楽家に向かって。小説家に向かって。プログラマーに向かって。デザイナーに向かって。クラリネット奏者に向かって。陶芸家に向かって。パティシエに向かって。女に向かって。あなたに向かって。
 彼は読みつづける。学校の校庭で。ギャラリーで。飲み屋の一角で。ホールで。講堂で。集会所で。アトリエで。往来で。商店街で。森のなかで。海辺で。多くの人々の前で。少しの人の前で。被災地で。戦火のなかで。あそこで。ここで。
 彼は読みつづける。日にあたりながら。ライトに照らされながら。雑踏に声をかき消されながら。子どもにからかわれながら。着信音にさえぎられながら。オルガンを聴きながら。エンヤに包まれながら。居眠りする老人を気にしながら。あなたを見ながら。
 来る日も来る日も彼は読みつづける。
 あなたは彼が読みつづけていることで世界がありつづけることを知る。彼が読みやめるときが来ることなどあなたは想像することができない。世界がありつづけるかぎり彼は読みつづけるだろう。彼が読みやめるその瞬間をあなたは知ることはない。
 しかしそのときはたしかに来る。
 彼は読みつづける。それが過去形になるときがたしかにある。しかしいま、彼は読みつづける。あなたに向かって。

ギターを弾く少年

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  「ギターを弾く少年」
                            作・水城ゆう

  ギター演奏から。
  ゆったりと静かだが、メジャーキーの曲想で。
  しばらくギター演奏。のあと、朗読が演奏にかぶさってはいる。

 風が吹いていました。
 もう夕方に近くなっていましたが、まだ日がさしていました。
 まだ春は来ていなかったけれど、今日は暖かい一日だったのです。
 やわらかな風が木々を歌わせていました。おだやかなリズムと暖かなハーモニーをかなでていました。森が音楽をかなでていたのです。
 その森のなかから、男の子はやってきました。

  ギター演奏がゆっくりと終わる。
  演奏が終わるのを待ってから。

 男の子はストラップを肩から斜めにかけて、ギターを背負っていました。身体の割にいかにもギターは大きく見えましたが、よく見るとギターは普通の大人用のものよりひとまわり小さいのです。それでも男の子には大きすぎるほどでした。
 ほかには男の子はつばのある帽子を目深にかぶっていて、そのせいでどんな表情なのかよく見えませんでした。そして大きな革靴を履いていました。革靴は靴ひもが締まっていましたが、長すぎるせいで蝶結びの部分は大きくなって地面に少しこすれていました。
 着ているものは質素なズボンとセーターだけ。セーターは首と肘のところにほころびがありました。
 森のなかから出てきた男の子は、森のはずれに切り株を見つけると、そちらに近づいていきました。その様子をさっきからずっと、ひとりのおじいさんが見ていました。おじいさんは天気がいいと、毎日この森のはずれの広っぱにやってきて、小川のへりにある古い柳の切り株に腰をおろしてひなたぼっこをするのが習慣なのです。
 少年が切り株を吟味し、身体をかがめてフッとほこりを吹きはらってから、そこに座るようすを、おじいさんは全部見ていました。少年はおじいさんに気がついているのかいないのか、こちらには目を向けません。でも、そう遠くはないのです。小川のへりに何本かはえているクルミの木を二本ばかり渡せば届きそうな距離なのです。
 少年は切り株に座ると、背負っていたギターをぐるっと身体の前に回し、抱えました。そしてしずかにギターを弾きはじめました。

  静かなアルペジオだけの演奏、しばらく。
  その演奏にかぶせて。

 少年の指には大きすぎるように見えるギターから、静かな音が聴こえてきました。その音は風が歌わせている森のざわめきに溶けこみ、ひとつの曲をかなでているみたいでした。
 森のなかからは鳥のさえずりも聴こえてきました。鳥はまるで森と少年のギターの伴奏にあわせてメロディを歌っているみたいでした。
 別の種類の鳥もさえずりはじめました。メロディが重なり、ハーモニーのように聴こえます。おじいさんは思わず耳をそばだたせました。
 そういえば、しばらく音楽を聴いていなかったことを思い出しました。しばらくどころか、この以前にいつ音楽を聴いたのか、思い出せないほどです。若いころはあんなに夢中になっていろいろな音楽を聴いていたというのに。しかしこのごろは森の音や鳥のさえずり、小川のせせらぎがあるので、音楽を聴く必要がなくなっていたのです。

  アルペジオの演奏、続く。
  コードとアルペジオパターンはゆっくりと変化していく。
  しばらくの間を置いて。
  朗読が始まったら徐々にギターは抜けていく。

 いつのまにか、ひろっぱに女の子の手を引いたお母さんらしき人と、おばあちゃんらしき人がやってきていました。街のほうから来たようです。おじいさんも見覚えのある人たちでした。時々おかあさんと女の子、あるいはおばあちゃんと女の子、そしてたいていは三人でこの広っぱに来て、しばらく遊んで帰るのです。
 三人はすぐに男の子に気づき、しばらく見ていましたが、女の子がお母さんの手を振りほどいて男の子のほうに駆けていきました。お母さんは「待って」と口を開きかけましたが、間に合いませんでした。そこでお母さんも女の子を追って少年に近づいていきました。
 女の子が男の子の前に立つと、男の子は演奏をやめました。そして女の子を見ました。ふたりは同じくらいの年に見えました。女の子のほうが少し小さいかもしれません。
 追いついてきたお母さんが少年を見下ろすと、いいました。
「こんにちは。ギター、上手なのね」
 少年はお母さんのほうを見上げましたが、なにもいいません。挨拶もしません。
 お母さんはちょっと困った顔になりましたが、またいいました。
「どこから来たの? あなた、ひとり? お母さんかお父さんはいないの?」
 男の子はなにも答えません。
 おばあちゃんが横からいいました。
「ぼく、お話はできる?」
 なにもいいません。お母さんがいいました。
「どこか悪いのかしら。見たところ病気でもなさそうだし。迷子かしら」
「警察に届けたほうがいいかねえ」

  ギター、コードストロークでリズミカルに入る。
  マイナーキーのコード進行。
  徐々に激しく。
  ギターにかぶせて。

 急に風が強まってきました。
 冷たい風が森をざわつかせながらやってきて、広っぱのみんなに吹きつけてきました。鳥のさえずりはいつのまにか聴こえなくなっていきました。
 みんなは思わず首をすくめて、襟をかきあわせました。
 そのとき、女の子が男の子にいいました。
「寒くない?」

  ギターのコードストロークが、にわかに静かになり、コード進行も変化する。

「あたしの上着、貸したげようか」
 男の子は首を横に振りました。それを見て、みんなは初めて、男の子が話を聞いて理解していたことがわかりました。
 それまでこちらでだまって見ていたおじいさんがゆっくりと立ちあがると、みんなのところへ歩いていきました。

  ギター演奏、とまる。

 おじいさんに気づいた三人が振り返りました。おじいさんは三人に黙ってうなずくと、少年の前に立ち、いいました。
「この風は天気が変わる前兆だ。日が暮れるし、これから急に冷えてくるよ。もうお家にお帰り」
 それを聞いたお母さんがいいました。
「この子のこと、知っておられるんですか?」
「いや、知らない子だ」
「どこに住んでるのかしら」
「わからない。しかし、帰るところはあるんだろう。私たちが詮索する必要はないだろうさ」

  ギター演奏。今度は曲。できればメロディをともなった曲。
  すぐに朗読はいる。

「お腹、すいてない?」
 女の子がききました。男の子が答える前に、女の子は背中にせおっていた小さな鞄をおろすと、中からリンゴをひとつ取りました。
「これ、あげる」
 リンゴが少年に手渡されました。
「ありがとう」
 少年がそういうのを聞いて、みんなちょっとびっくりしました。
 少年は立ちあがり、リンゴをズポンのポケットに入れると、ギターをぐるっと背中のほうに回しました。
 少年はやってきたときとおなじように、また森のなかへと帰っていきました。ズボンのポケットが大きくふくらんでいるのが、みんなにも見えました。
 風がすこしおさまり、森のざわめきのなかにまた鳥の声がもどってきていました。
「また会える?」
 女の子がそうたずねましたが、男の子の答える声は聞き取れないまま、森の中へと消えていきました。
「きっとまた会えるさ」
 おじいさんがそういうと、女の子はおじいさんを見上げ、ニコッと笑ってから、お母さんとおばあちゃんの手を求めてつなぎました。

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   「蛍」

 日が暮れるのを待ちわびて、ぼくらは夜の道に出た。
 ぼくらというのは、小学校にあがったばかりの四歳下の妹とぼく、そして父と母の四人のことだ。
 夕方にさっと通りすぎた通り雨のにおいが夏の強い日射しの名残を残した地面から立ちのぼり、それがこれから行こうとしている水場のことを予感させて、ぼくと妹は興奮ぎみだった。
 ぼくは竹箒、妹はうちわを持っている。これで蛍をとろうというのだ。
 父が数年前、市街地の一番はずれに新築した家は、国道を越えると繊維工場と田んぼしかなかった。しかし、そろそろ国道の向こう側にも田んぼを造成して家が建ちはじめていた。
 ぼくが小学校にあがったばかりのころは、まだ田んぼに「肥《こやし》」をまいている光景が見られたものだったが、このごろは太いホースのような長い袋を田んぼの上にわたして、ふたりがかりで白い農薬をまいている光景に変わっていた。それにともなって、学校帰りによく用水路にはいりこんでカワニナを採っていた遊びも、カワニナそのものがいなくなってしまってやらなくなっていた。もっとも、高学年になるとそんな子どもっぽい遊びはやらなくてもいいと思っていた。
 家の庭に面した縁側にすわっていると、蛍が池の上をちょくちょく横切ったものだが、最近ではそんな光景も見られなくなってしまった。市街地やその近くにはもう蛍は来なくなってしまったのだった。
 でも、山際の、山間部の水門から直接引いてきている用水路のあたりには、蛍がたくさんいることをぼくは知っていた。
 国道を渡って、まだ家もまばらな田んぼ道を歩いて、山際のほうに向かう。明かりがだんだん少なくなってきて、山裾の用水路に近づいたころにはほとんど真っ暗で、道路と田んぼの境界すらわかりにくいほどだ。
「田んぼに落ちないように気をつけろよ」
 父が注意をうながす。
 夜空を見上げると、満天の星。目をこらすと白鳥座のあたりに天の川が見えた。
 流れ星が見られるといいのに、とぼくは思ったけれど、それはかなえられなかった。ペルセウス座流星群の時期にはまだ早かった。
 目的地である山際の用水路のところまでやってきた。
 待つまでもなく、ぼくたちはすでに蛍の光のまっただなかにいた。たくさんの青白い光が点滅をくりかえしながら、不規則な航跡を描いてぼくらを取りかこんでいる。
 そばにある用水路から水の音が聞こえている。そちらのほうから無数の光が沸きあがってくる。羽化したばかりの蛍が乱舞しているのだ。
 ぼくは竹箒をふるって光をからめとり、つかまえた蛍を虫かごにそっと入れた。何匹も入れた。妹もうちわで払い落とした蛍をつかまえて、虫かごに入れた。
 そうやって十数匹の蛍をつかまえたぼくたちは、また真っ暗な道を引き返して家にもどった。
 その夜、ぼくと妹は、蛍を入れた虫かごを枕元に置いて寝た。虫かごにはススキの葉っぱもいっしょに入れてあり、池の水に虫かごごとつけて水滴をつけてあった。
 布団にもぐりこんで虫かごを見ると、虫かごの中で蛍が音もなく点滅を繰り返している。ぼくはそれを飽きることなく見つめていた。
 蛍の虫かごからは、すこしツンと鼻をつく、独特のにおいが流れてきた。それが蛍のにおいなのだとぼくは思った。
 光を見ているといつまでも眠れないような気がしたけれど、もちろんそんなことはなく、ぼくはいつの間にか眠ってしまっていた。
 朝、目覚めると、明るい日差しのなかで、蛍は黒い炭のかけらのように、ススキの葉っぱのあいだにわずかに確認できるくらいだった。
 その虫かごをそのあとどうしたのかは、結局思いだすことはできない。

ラジオを聴きながら

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   「ラジオを聴きながら」

 ラジオを聴きながら、私の主人は手紙を書いている。私はそれを、いつものように窓枠の上に身体を丸めて見ている。
 アナログ放送終了とかを機に、主人はテレビを見るのをやめた。かわりにいつもラジオがついている。必要があればケータイの地デジがあるからいいのだと、彼女はいう。たしかにそうだろう。私は前から、にんげんがなぜあのような箱に映る、うるさく動く絵を熱心に見るのか、よくわからなかった。テレビを見るのをやめた主人は、すこし猫にちかづいたような気がして、私はうれしい。
 手紙を書きながら、私の主人はまた泣いている。
 回収業者がテレビを運びだしていったとき、主人はほっとしたような顔をした。彼女がテレビを憎んでいるのを私は知っていた。テレビはあの日以来、何度も海が押し寄せるのを映し出し、いまになっても隙をみてその映像を流そうとする。
 彼はあの海のむこうに消えた。その海は私の生まれた場所だ。
 われわれはだれかが先にいっても泣いたりはしない。その時が必ずやってくることは知っているし、泣いてもその事実が変わるわけではないことを知っているからだ。私にもその時は必ずやってくる。ほぼ間違いなく、私は主人より先にあちらに行くだろう。
 私がいなくなったら主人はまた泣くだろうか。たぶん泣くのだろう。にんげんは猫よりずっと長く生きるせいで、死に対しておろかになりすぎている。死が遠くにあるせいで、死がどういうものなのかわからなくなっている。
 私がここに、この主人の家にやってくる前は、あの海の街で生まれ、しばらく暮らした。彼が私を主人に引きあわせ、ここにやってきた。
 彼は海の仕事をしていて、家は海べりにあった。その家のことはいまでもよく覚えている。古い家で、建ってからもう七十年もたっているという。その家が建つ前はそのあたりにはなにもなかったのだとも。そのあたりにはただ海岸があり、波が打ちよせ、風が吹きつけるだけだった。
 いまでも波は打ちよせ、風が吹きつけているだろう。カモメが風に逆らって長く伸ばした羽をひらひらさせながら、細長い声をあげているだろう。浜昼顔や月見草が風になびき、アブが羽音を立てて飛んでいるだろう。水平線の向こうからやってきた雲は、ゆっくりと近づき、やがて山の向こうに流れていくだろう。
 日が沈み、星が出るだろう。ペルセウス座の方角に流れ星が生まれ、そしてまたすぐに消えていくだろう。
 彼の生も死も、私の生も死も、主人の生も死も、みなおなじことなのだ。それは海と風と星のなかにある。
 そんなこともわからない主人は、届かない彼への手紙を書きながら、涙を流している。私はただそんな彼女をだまって見つめている。
 ラジオからは聴いたことのない音楽が、この部屋と世界をつなぐゆりかごのように、静かに流れてくる。

繭世界

(C)2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved
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   「繭世界」

指先からつむがれた透明な音が長     私は生まれつつあった。
い尾を引いてからたちの刺にから     同時に死につつあった。
みつき真っ青な空の雲を誘惑する
梅雨が明けたばかりの夏の繭。き     世界は開かれつつあった。
らりと眼のすみを横切るのは塩辛     同時に閉じられつつあった。
蜻蛉か青条揚羽かふと顔を向ける
と自転車がもんどり打って倒れよ     闇に光が射しこみつつあった。
うとしていた繭。幾重にも連なっ     同時に闇に閉ざされつつあった。
ていつまでも打ち寄せてくる波の
向こうに見えるのは外洋航路に向
かうコンテナ船の色とりどりの繭。    我々は時間の軸を直線的に生きる
あなたは眼を閉じ身体を丸め折り     わけではない。
曲げた脚を両手で抱えるようにし     時間はからまりあった糸のように
ている。あなたが目覚めているの     もつれ行きつ戻りつしている。
か眠っているのかはあなた自身に     昨日は今日であり、今日は昨日で
すらわからない。閉じた眼の奥で     もある。
線香のようにイメージが交錯する。    昨日の出来事はまだ起こっていな
濡れたアスファルトの上をどこま     いことでもあり、明日の出来事は
でもつづいて伸びる烏の切断され     すでに起こっていることでもある。
た首から流れ落ちた赤い繭。これ
は考えているのか、それとも夢見
ているのか、あるいは幻覚なのか。
あなたは自分が何者なのかは知ら
ないが、ここに来る前にいた場所     津波は来たのかもしれないし、ま
のことはぼんやりと思い浮かべる     だ来ていないのかもしれない。
ことができる。青い海。青い空。     これから来るのかもしれないし、
打ち寄せる波。海岸線を不規則に     すでに来てしまったのかもしれな
区切る岩山の上には沖からの強い     い。
風で斜めにかしいで生えている細
長い松の木が何本か見えている。
波打ち際を歩いていたような気が
する。貝殻を拾い集めていたよう
な気がする。巻貝のからっぽの口     からまりあった糸が作る境界で、
を耳に押し当ててみたような気が     死者と生者が交錯する。
する。あなたは海が好きだったよ
うな気がする。しかしあなたが生
まれたのは海の見えない土地で、
いつも四方を山に囲まれたくぼん
だ場所だったような気がする。太     これは幻視なのか、それとも現実
陽は東にそびえる山脈の高い位置     なのか。
から遅くのぼり、西にも連なる山
々の高い場所に早く沈んだ。夏で
も一日は短く、そのくせ風も吹か
ずやたらと暑い土地だった。海の
近くに住んでみて、太陽が出てい     すべてが不確実なことをだれもが
る時間が長いにもかかわらずいつ     知っている。
も風が吹いて涼しく、見晴らしが
よいことにおどろいた。空がこん
なに広い場所があるということを
あなは知って驚いた。あなたはこ
の地に住むことを決めたような気
がする。それを後悔してはいない。
あなたは自分が何者でどこから来
たのか、どこへ行こうとしている
のかもわからない。そもそもどこ
かへ行く必要があるのだろうか。
あなたはいつからこの繭のなかに     どこかでだれかかが繭をつむいで
いるのかもわからない。だれかに     いる。
試されているのか。だれかに観察
されているのか。だれかに飼われ     我々は時間軸の糸によって繭のな
ているのか。そもそも人間なんて     かにからみとられていく。
そのようなものでどちらでもかま     いまはまだ蛹ですらない未熟で愚
わない。ふいにはっきりした思考     かな存在だ。
があなたの前頭葉に浮かぶ。同時 
に、ここへ来る前にあなたが見て
いたことを思い出したような気が     我々愚かな芋虫がこざかしい知恵
する。赤い血で染められたアスフ     を振りかざし、あたりをいくばく
ァルトがでたらめなダンスを踊り     か汚したところで、繭をつむぐ者
烏の首をはねた電線が喉を病んだ     がなにを気にするというのか。
テノール歌手のように歌っていた。
四角い木綿豆腐が腐って爆発し腐
臭をあたりにまき散らしていた。
溶岩のように熱く重い水に巻かれ
ながらあなたはそれを見ていたよ
うな気がする。水は時間そのもの
でありあなたはそれにからめとら
れてこの繭のなかへとやってきた。
もはや生きているのかも死んでい     もう眠ろう。
るのかもわからないしそんなこと     眠ってしまおう。
はどちらでもかまわない。ただい
まはもう時間のなか深いどろどろ     暖かな繭の奥深くで、どろどろの
の眠りへともぐり降りていくばか     液体に満たされた蛹になってしま
りだ。あなたのなかからなにか生     おう。     
まれてくるかどうかはだれもわか     
らないしそこにはもちろんあなた     生まれつつあると同時に、死にゆ
はもういない。             く存在になろう。
                              (おわり)

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帰り道

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  「帰り道」

 夜の帰り道
 線路脇で星空を見上げるのが癖になった
 東京の空は明るくて
 星はいくらも数えられない
 遠いふるさとの空には数えきれない星がある
 電車が通過する音を聴きながら
 そんなことを思う

〈地の光は絶え
 築けしものも流れた
 多くの魂が去り
 幾万の涙が流れた〉

 月のない夜
 春が去っていく夜
 かすかな星明かりをさがして
 失われたものを思う

 それでも風は吹き
 波は打ち寄せ
 木々は芽吹いて青々と茂る
 それでも星は輝き
 夜明けはやってくる
 それでも人々は生き
 涙は笑顔に変わる

 朝になれば線路脇では
 ヒバリがさえずるし
 ハナミズキが咲きかけている
 紫陽花さえもうじき咲きそうだ

帰り道

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  「帰り道」

 夜の帰り道
 線路脇で星空を見上げるのが癖になった
 東京の空は明るくて
 星はいくらも数えられない
 遠いふるさとの空には数えきれない星がある
 電車が通過する音を聴きながら
 そんなことを思う

〈地の光は絶え
 築けしものも流れた
 多くの魂が去り
 幾万の涙が流れた〉

 月のない夜
 春が去っていく夜
 かすかな星明かりをさがして
 失われたものを思う

 それでも風は吹き
 波は打ち寄せ
 木々は芽吹いて青々と茂る
 それでも星は輝き
 夜明けはやってくる
 それでも人々は生き
 涙は笑顔に変わる

 朝になれば線路脇では
 ヒバリがさえずるし
 ハナミズキが咲きかけている
 紫陽花さえもうじき咲きそうだ

祝祭の歌

(C)2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved
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—– MIZUKI Yuu Sound Sketch #78 —–

  「祝祭の歌」

 その時 きみは見たか
 揺れ動くビルを
 くずおれる家屋を
 うなりをあげる電線を
 ひび割れる大地を
 波打つ海を
 押し寄せる海水を

 その時 きみは聞いたか
 人々の悲鳴を
 破壊の音を
 風を切り裂く音を
 地割れの響きを
 とまどいと
 怒りの声を

 悲劇の彼岸の
 それは祝祭だった
 大地の歌と
 ことほぎの踊りだった
 あらゆる命を呑みこみ
 死をもたらし
 それでも祝祭として
 大地は踊った
 なぜならそれは 何万年
 何億年とつづく 地のいとなみなのだ

 人が築いたほんの数千年の文明
 ほんの数百年の構造物
 ほんの数十年の技術
 大地の踊りの前に
 あっけなく崩れさった

 浅はかな技術が 大地を汚し
 世界に永く闇をもたらす
 そんなことすら 大地は気にも止めない
 悠久の時のなかで
 ゆっくりと激しく わずかずつ大きく
 ただ踊りつづけてきた

 私たちが見るのは 神の罰ではない
 私たちが聴くのは 大地の怒りではない
 私たちが見るのは ことほぎの踊り
 私たちが聴くのは 祝祭の歌

 私たちも また
 よろこびながら
 嘆きながら
 怒りながら
 悲しみながら
 ことほぎの踊りをおどり
 祝祭の歌をうたおう
 大地とともにあることを
 悠久の時の流れのなかで
 祝おう

初恋

©2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved Authorized by the author

—– 朗読パフォーマンスのためのシナリオ —–

  「初恋」

 聞いてる? そこにいるの? いいの、わかっているの、あなたがそこにいるのは。なにもいわなくていいわ。なにもいわなくていいから、それより私の話を聞いて。お願いだからそこにいて、私の話を聞いて。でもいいの。あなたがそこにいてくれようがくれまいが、どっちみち私はこの話をするんだから。この話をしなければ私はたぶん明日まで耐えられないでしょう。ここにこのままじっとして、このことをだれにも話さないまま明日の朝を迎えるなんて考えられない。聞いてる? いいわ、聞いてくれてるのね。なにから話しましょうか。そう、最近私、「神様なんかいない」という本を読んだの。神様というのは人間が作り出した妄想だっていうのよ。たしかに私も神様なんてそれほど信じてはいなかった。だってそもそも私はクリスチャンでもないし。といって仏教徒というわけでもない。もちろんムスリムでもないし、ゾロアスター教徒でもないわ。両親の葬儀は仏式でやったけれど。でもそれは、両親が亡くなったとき、親戚の人たちがよってたかってうちの先祖代々の浄土真宗のやり方で段取りをつけてしまったからだわ。私はなんにもしなかった。もちろん死んだ両親もなにもしなかった。そもそも死んだ両親が浄土真宗を信仰していたかどうかもあやしいものだわね。仏様の話じゃなくて神様の話だった。いえ、どちらでもおなじことね。ようするに宗教なんて人類の妄想だし、それを利用してうまく立ちまわって世界を支配したりお金をたくさん集めたりする人が何千年もいつづけてきたっていうこと。そういう本を読んだのよ、最近。立派な科学者が書いた本だった。なるほどと思った。でも、こんなことがあると、神様なんて自分の都合のいいときにしか信じない私でも、ひょっとして本当にいるのかもしれないと思うことがあるわ。気まぐれでいたずらな神様がね、私のことをからかっておもしろがってるんじゃないかって思えるのよ。そう思わなきゃ今回のことなんて信じられない。こんなことが自分の身に起こるなんて、何十年も生きてきて想像したこともなかった。何十年。そう、私は何十年も生きてきた。正確にいえば、七十七年生きてきた。この世に生まれ落ちてから、なんてこと、そう、七十七年もたってしまった。もう立派なおばあちゃんだ。だれが見たって白髪の、皺くちゃの、腰の曲がった、シミだらけの、年老いた老婆だ。十七歳の頃は自分が七十七の老婆になるなんて想像もできなかった。そうでしょう? あなただってそうでしょう? 十七歳どころか、五十歳のときだって、七十七の老婆になるなんて考えられなかった。五十のときにはまだ自分が十七歳のような気がしていた。身体だって元気だし、そりゃあ確かに十七歳のときみたいに颯爽と森を駆け抜けたり、波を切って泳いだりはできなくなっていたわ。でも、心は十七歳のときとなにも変わってはいなかった。十七歳のときとおなじように、かぐわしい風に産毛が逆立ったり、満天の星に胸が震えたりした。それはいまだってそう。心のなかはなにも変わっていない。変わったのは身体だけ。髪はハトがついばんだように白くなり、肌は釣りあげられたタコのようにゆるみ、腰は強風にあおられたように曲がってしまった。それは悲しいことだけれど、耐えられないほどの悲しみではない。だって、そんなふうに年老いていくのはなにも私だけではないのだから。私とおなじようにほかの人も、いえ、ほかの人とおなじように私も、身体はゆっくりと年老いていって、やがては耐用年数の限界が来るというわけ。それはすべての人間の運命だから、悲しいことではあるけれど、耐えられないというわけでもない。わかるでしょう? 耐えられないのは、私の身体のなかにはまだ十七歳の心の私がいるのに、身体だけが朽ちていって、十七歳の私もついには居場所がなくなって、身体から追いだされてしまうということ。追い出されてどこに行くのかって? どこにも行く場所なんてない。行くあてなんかない。だから、十七歳の私は消滅するしかない。消えてなくなるしかない。まだ十七歳なのに。ううん、天国なんて信じちゃいない。あの世とか、天国とか、来世とか、生まれ変わりとか、私は信じちゃいない。さっきもいったけれど、神様なんていないと思う。都合のいいときにだけ神様にお祈りして、お祈りが通じたと思ったこともあるけれど、本当は神様なんか信じちゃいなかった。あの世なんてないし、神様もいない。身体が朽ちて滅びれば、私の心もなくなってしまう。それだけ。でも、こんなことがあると、ひょっとして神様はいるのかもしれないと思うのよ。それもとびっきりいたずらな神様がね。ああ、そう、あの人のことをいっているのよ、私は。あの人。彼。坊や。いえ、だめよ、その呼び方はだめ。坊やなんて呼んではだめ。私のいい人。愛する人。私の大事な人。私の命より大切な人。そうよ、私の命より大切なんだわ。私より彼のほうが長く生きることは、よほどのことがないかぎり確実なんだから。なにしろ、彼はまだ二十二なんだから。二十二、二十二。二十二歳。私の二十二歳はどんなだったかしら。もう思い出せないくらい昔のことね。いまから何年前のことかしら。いやだ、五十年以上前のことなのね。五十五年も前のことだわ。ということは、私と彼とは五十五歳離れているということ。私がいまの彼の年齢だったとき、彼はまだこの世に生まれていなかった。私が五十五歳になったとき、彼がやっと生まれてきた。五十五歳年下の人。そんな男性から求婚されるなんて。なんてことかしら。なんということなんでしょう。彼から求婚されたときにはほんとうに驚いたわ。だってそうでしょう。夢かと思った。夢じゃないとわかったら、今度は彼の頭がおかしくなったんじゃないかと思った。それで彼にそういったのよ。頭がおかしくなったんじゃありませんこと? って。そしたら彼は、そうかもしれません、あなたに夢中のあまり頭がおかしくなってしまったんです、っていうのよ。だったら、結婚してなんて冗談はいわないでくださいな。心臓に悪すぎます。いえ、冗談なんかじゃありません。僕は真剣なんです。あなたに夢中なんです。頭がおかしくなったというのはそういう意味です。

 まだあげ初《そ》めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり
 やさしく白き手をのべて
 林檎をわれにあたえしは
 薄紅《うすくれなゐ》の秋の実に
 人こひ初めしはじめなり
 わがこゝろなきためいきの
 その髪の毛にかゝるとき
 たのしき恋の盃を
 君が情けに酌《く》みしかな
 林檎畠の樹《こ》の下《した》に
 おのづからなる細道は
 誰《た》が踏みそめしかたみとぞ
 問ひたまふこそこいしけれ

 まったくどうかしてる。だれだってそういうと思います。けれど本当なんです。事実なんです。あなたのことを愛しています。真実なんです。僕と結婚してくれなきゃ僕は死んでしまいます。そこで私は彼にいったのよ。あなた、自分のいっていることをちゃんとわかっていらっしゃるの、って。人が聞いたらどう思うかわかっていらっしゃるの? わかってますとも。頭がおかしいんじゃないかっていうに決まってます。でも、本当なんです。あなたに夢中なんです。財産目当てなんじゃないかって思われることもわかってます。でも、そんなもの、僕はいらない。財産なんかが目当てじゃない。ただ僕はあなたと結婚したいだけなんです。彼が財産目当てじゃないことは確かよ。だって私、お金に困っているというわけじゃないけれど、けっしてお金持ちでもないもの。私が持っている財産なんかたいしたことない。親が残してくれた不動産が少し。贅沢さえしなければ不自由なく暮らせるだけの収入はあるわ。でもたいした額じゃない。こうやって老後を不自由なく暮らせるだけの資産があることはありがたいと思ってる。でも、人からうらやまれるほどのものじゃない。年下の男性からねらわれるほどのものじゃない。もし結婚したとして、私が先に死んだら、それはほとんど確かなことだけれど、私の財産を処分したとしてもほとんどまとまったお金になんかならないはず。そんなものが目的で彼が私に求婚するなんてことはありえない。彼が私と結婚して得るものは、彼が失なうものに比べればとてもみみっちいものよ。彼がなにを失うのかって? それはたくさんのものを失うはずよ。この結婚に反対する家族や親族を失うかもしれない。友だちだって失うかもしれない。頭がおかしくなったんだっていわれて、仕事だってうまくいかなくなるかもしれない。なにより、あんなばばあと結婚するなんてといっぱい陰口をいわれて、きっとたくさん名誉を傷つけられるわ。彼が失うものはとても多いと思うのよ。私はもちろん彼にそういったわ。でも彼はきかなかった。どうしても結婚してほしいといってきかなかった。でなければ私の前で死んでしまうともいった。私は折れたわ。そして、あなたも知っているように、そう、明日が私たちの結婚式よ。結婚式。私の初めての結婚式。彼も初めてよ。私たちふたりとも結婚するのは初めてなのよ。そういう意味ではおなじ経験をふたりでするのよ。ただ年がとても離れているだけ。彼は初めての結婚だけれど、これまでに何人かは恋人がいたというわ。そのことを彼は私に正直に話してくれた。でも結婚するまでにはいたらなかった。どの相手とも数ヶ月から数年で別れてしまった。そんなことを話したあとに、彼は私のおそれていた質問をしたわ。あなたはどうなんです? あなたにもさぞかし多くの恋人がいらしたんでしょうね。もしよければ話してくださいませんか。私は答えたわ。そんなこと、あなたに話したくないわ。私のつまらない思い出なんかどうでもいいの。これから作っていくあなたとの時間のほうが大切じゃないこと? 彼は納得してそれ以上質問しようとはしなかったけれど、私は胸が痛かったわ。なぜかというと、私はどうしても彼に話せなかったから。隠し事をしたわけではないけれど、話さなかったのは隠し事をしたことと同じだわ。彼はまだ知らないのよ。私にとって彼が初めての人だということを。いえ、結婚のことじゃないわ。男の人のことよ。私はこれまでひとりも恋人がいなかったのよ。思いを寄せた人はいたわ。そりゃあ私だって好きになった人はいたわ。ひとりやふたりはいたわよ。でも、どの思いもかなわなかった。それから、求愛されたこともあったわ。自慢するみたいだけど、正直にいえば、何人かいたわ。片手の指では足りないくらい。でも、だれの求愛も私は受けなかった。私が好きでもない人の求愛をどうして受け入れられるというの? でも、今度は違う。彼から求婚されたとき、私はたしかに私のほうも彼のことを愛してしまっていたことに気づいたの。そうなの、待ちに待った愛だわ。ただ、その時期があまりに遅すぎただけ。私は苦しいの。あなたにこうやって打ち明けながらも、苦しさに変わりはない。このまま死んでしまいたいくらい苦しい。明日のことを思うと、とくに明日の夜のことを思うと、どうしていいのかわからない。彼は結婚式が終わってふたりきりになったら、私をどうするつもりかしら。まさかこんなおばあちゃんをどうにかしようなんて思ってないと思うけれど、わからない。二十二歳の男の子といっていいような若い男性の考えていることなんて、私には想像もつかない。もし彼が私を求めてきたら、私はいったい……いったい、どうすればいいの。ねえ、どう思います? そのとき私はどうすればいいと思います? あなたにこんなことを聞いても無駄ですわね。あなたの問題ではないんですもの。彼と私の問題なんですから。ときどき、こんなふうに、だれにも答えることができない自分の問題について自問自答していると、私は本当に孤独を感じるの。ひとりぼっちだという気がしてくるわ。もっと若くに愛し合える人に出会って、連れ合いができていればよかったのに。もしかすると子どもも何人かできて、いまみたいにひとりぼっちということはなかったかもしれない。こうやってひとりでいると、私はまるで自分が灯台守にでもなったように感じることがあるわ。孤島にただひとり、灯台を守っている女。この家のまわりに本当はなにもなくて、ただ荒地と岩の上に立っている灯台であって、私はそこでだれの訪問も受けず、どこにも出かけることもなく、ひとりで灯台を守っている。灯台のまわりには、街ではなく海が広がっていて、いまの時期だと寒い北風がただびゅうびゅうと吹きつけてくるだけ。たまに渡り鳥が羽を休めに降りてくることはあるけれど、その鳴き声すらも風にかき消されて灯台の中までは聞こえない。灯台に明かりを入れる時間になってたまにガラス窓の外に目をやれば、遠くを貨物船が通りすぎていくのを見ることもある。でも、その船はただ通りすぎるだけでここへはやってこない。私はだれとも言葉をかわさず、関係も持たず、灯台でひとり暮らしながらゆっくりと時間がすぎて、ゆっくりと自分が年老いていくのを感じているだけ。そんな自分をさびしいと思ったことは何度もある。いまいったように、もっと若いころに恋人ができて結婚し、家族を持っていたらどんなに楽しかったろうと想像したことは何度もある。けれど、最近はさびしいことをあまり嫌だと思わなくなった。たしかにさびしいことはさびしい。でも、結局のところ、人ってなんのために生きているの? 神さまがいるかどうかは知らないけれど、家族がいようが連れ合いがいようが、結局のところ死んでしまえばただの動かない肉のかたまりになってしまうだけ。腐ってしまわないうちに急いで埋めるか焼くかして、残るのはわずかな骨ばかり。なかにいた私は追いだされて消滅するだけ。生まれる前だってそうだったんでしょう? 私がいったいどこからやってきたのか知らないけれど、生まれる前にいた場所に帰っていくというだけのことでしょう。つまり、無に。そうだというのに、恋人がいるとか結婚しているとか、家族がいるとか財産があるとか、いったいどんな関係があるというの。私はひとり。この島の最後の灯台守の女。それでいいと思いはじめていた。寂しいことは寂しいけれど、心は安らかだった。このままこうやって静かに年老いて消えていくことに納得していた。私の仕事はただ、灯台に明かりをともしつづけることだけ。それなのに、あの人が現れてしまった。私の静かな生活は一変した。私の灯台に別の人がやってきた。そして私と結婚したいといいだした。私はそれを受け入れるしかなかった。いままでただの一度もだれかを受け入れたことなんてないのに。私はこれからどうなるんでしょう。彼から求められてなにかを与えるなんてことができるのでしょうか。七十七の私が十七の心をいまだに持っているように、彼だってきっと二十二だけれど十七の心を持っているに違いないと想像したこともある。そしたら私たちおなじことになるでしょう。私たち、年齢と外見こそ違うけれど、おなじ十七歳同士じゃない。だったら楽しくやっていくこともできるかもしれないわ。でも、もし彼が十七の心を持っていないとしたら? 彼はちゃんと年齢相応に二十二歳の青年の心を持っているとしたら? それとも、彼はずっと成長が早い人で、もっとずっと大人になってしまっているのだとしたら? たとえば三十歳に。あるいは四十歳に。それとも五十歳に。もし彼がそうだとしたら、私はとても耐えられない。彼は私を求めるだろうか。それってどんな感じなのだろうか。私はこれまで一度も男の人に触られたことがない。抱かれたことがない。男の人に触られるってどんな感じなのだろうか。それが女にとってとても幸せなことだというのは話には聞くけれど、想像もつかないし、それって本当のことだろうか。映画のなかで男に抱かれる女たちは、皆陶然とした表情を浮かべているけれど、あなたはきっとあんな顔はできない。あなたの顔はきっと苦痛にゆがむだろう。そんなあなたを見て、彼は失望を覚えるだろう。あなたの顔が苦痛にゆがまないとしたら、それはおそらく嘘だろう。あなたの身体は心に反して嘘をまとうことを知っている。あなたはそうやって生きてきたのだから。あなたの心は身体という牢獄のなかに閉じこめられている。でももうすぐそこからも解放されるだろう。なぜならあなたの身体の耐用年数がもうすぐやってきて、電気炊飯器のように壊れて、ガラクタ置き場で朽ち果てていくのだから。そのとき、あなたの心は行き場所を失って消滅する。あなたは明日、私との結婚式を迎える。それは嘘をまとって生きてきたあなたの、最後の、最大の嘘なのかもしれない。あるいはあなたの嘘を最後に追い払うラストチャンスなのかもしれない。私に求められたときあなたはただ自分を私の前に投げだせるだろうか。あなたは抵抗するだろうか。逃げるだろうか。それともすべての嘘を脱ぎすてて私の前に身を横たえるだろうか。しかしそんなことはどうでもいいことだ。私があなたを求めるのは、自分自身の姿をあなたに見るからだ。あなたが生き、うろたえ、あらがい、嘘をまとい、満足したふりをし、善をなしたつもりで笑みを浮かべ、裏切り、裏切られ、疑いながら、いまそこにいる。それはほかならぬ私自身の姿でもある。老いさらばえ、やがて朽ちていく。それが私自身の姿なのだ。私はあなたに私を見る。すべてを見る。だから私はあなたを求める。あなたは私自身なのだ。

自己同一性拡散現象

©2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

—– MIZUKI Yuu Sound Sketch #77 —–

  「自己同一性拡散現象」水城ゆう

 夢を見ていたようだ。
 という書き出しはよくあるが、実際に夢を見ていたのだ。
 しかし、このところ目覚めるといつも感じるある違和感のせいで、夢の内容を一瞬にして忘れてしまった。
 だから最近見た夢をまったく覚えていない。
「あなた、そろそろ起きてくださらない?」
 リビングのほうから妻の声がする。朝食のしたくをしているらしい。その気配で目がさめたのかもしれない。
 いつごろからだろうか、この違和感を覚えるようになったのは。
 なんといえばいいのか、つまり、いま夢から覚醒してベッドから起きあがろうとしている自分は、昨夜眠りについた自分とおなじ人間なのかどうか、確信が持てないのだ。
 たしかに昨夜眠りにつくときには、この身体であった。この左肘のところ。古い傷がある。これは小学生のころ、スキー場でころんでほかのスキー客にぶつかって怪我をしたときの残り傷だ。たしかにこの身体は私の身体だ。
 いや、私の身体にこの傷があるという記憶そのものは、私の記憶なのだろうか。小学生のときにスキー場に行った記憶。そこでスキーを楽しんだ記憶。転倒した記憶。ほかのスキー客にぶつかり、そのスキー板が跳ねかえって私の左肘を直撃した記憶。痛みと出血の記憶。いまでも生々しく脳裏に浮かべることができる、その記憶。それが私の記憶であるという証拠はどこにあるのか。
 夢で見たことを現実の起こったこととして記憶しているのかもしれない。あるいは、肘の傷はスキー場でのことではなく、だれかからスキー場での怪我だと教えこまれたことを自分の記憶と思いこんでいるのかもしれない。
「早くしたくしないと会社に遅れるわよ、あなた」
 妻が寝室をのぞきこんで、いった。
 私は妻の顔を見る。
 たしかに私の妻だ。いや、私の記憶は、この女性の顔や身体つきの特徴を自分の妻であると私に知らせている。
 しかし、この私の記憶はどこから来たのか。
 この記憶を私のものだと確信している私そのものは、どこから来たのか。そもそもこの身体のなかに最初からはいっていたのか。昨日の自分と今朝の自分がおなじ自分であるという証拠はどこにあるのか。
「なによ、じろじろ見たりして。わたしの顔になにかついてる?」
 違和感が強まっている。
 私が見ているのは、たしかに私の妻の顔だ。姿形だ。手のなかには彼女を愛撫するときの感触まである。しかし、それが私の記憶であるという実感がない。
 この感触はだれか別の者の記憶なのではないか。いま見ている妻の顔、いや妻の顔という画像記憶は、私以外の別のだれかの記憶なのではないか。それがなんらかの原因でそっくりそのまま私のなかに植えつけられたのではないか。
 だとしたら、私の本当の記憶はどこに行ったのか。いまごろ別のだれかのなかに私の記憶が植えこまれ、彼もまた違和感をおぼえながら自分の妻の顔を見ているのではないか。私の本来の記憶にある本来の妻の顔はどんな顔なのだ。そしてどんな感触なのだ。
 私はベッドからのろのろと起きあがった。
 私の記憶が妻だと申し立てている女はまだ不審そうな顔つきで私を見ている。
 私は女にむかって手をさしだした。
 女は反射的に私の手を握りかえした。
 私は女の手をつかんで、自分のほうに引きよせた。
「ちょっと、なに、あなた」
 おどろきながらも、その声にはわずかな喜びが含まれていた。私は女の身体を両腕に抱きしめた。
 この感触も、私の記憶のなかにあるものと合致している。たとえだれかの記憶だったとしても。
 突然、私のなかから聞いたこともない言葉が浮かびあがり、私の口から出てきた。
「一切はただ、心のつくりなり」
 だれがそういったのか、私にはわからなかった。私はたぶん、私ではなく、妻もまた妻ではなく、同時に私は私であり、妻は妻であるのだ。すべては私の心のおもむくままにあるということか。
 おだやかな喜びにつつまれていくのを感じた。柔らかな女の身体の感触を楽しみながら、私は時間を忘れていた。

沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき(3)

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

—– 朗読パフォーマンスのためのシナリオ —–

 ちゃんと思いだした。子どものころから物忘れがひどかった。小学生のある日、ランドセルを忘れて手ぶらで学校に行った。母親が届けに来て、教室の入口で、同級生たちが見ている前で、こっぴどく頬をはたかれた。いまのいままでそんなことを思いだしたこともなかった。無意識の奥底にしまいこんでいた思いだしたくない記憶。たくさんの思いだしたくない記憶が、無意識の奥底にしまわれ、忘れさられている。物忘れをした恥ずかしい記憶がたくさん、記憶の奥底に忘れさられている。蛇口のパッキンを買わなければ。

 私は歩きはじめる。おっさんどこへ行くんだよというだれかの声が聞こえる。腕を強く引きもどされる。

 都会の学校に進学し、都会の会社に就職し、都会で結婚し、都会で家を持ったけれど、いつも思いだすのは野山のことだった。軒先に作られた燕の巣を見つめながら、畑の上の草はらで見つけた雲雀の雛のことを思っていた。街を歩きながら、風とともに山道を駈けおりたことを思い出していた。ひとり渓流をさかのぼり、岩陰にひそむヤマメを狙ったことを思い出していた。

 列車が通過いたします。危険ですので、黄色い線の内側までさがってください。
 列車が通過いた   します。危険です    ので、黄色い線       の内側
         までさが
                 ってくだ
                              さい。

 私はどこへ行こうとしているのか。
 そうだ、蛇口のパッキンを買いに行くのだ。
 だれかの怒号が聞こえる。
 腕を強く引かれる。
 私はそれをふりほどく。
 蛇口のパッキンを買うのだ。
 蛇口のパッキンを買うのだ。

 危険ですので。
 黄色い線の内側。

 蛇口のパッキンは死。
 蛇口のパッキンは死。
 死とはなにか。

 あのとき私が見ていたものの話をしよう。
 ランドセルを忘れて親に怒られた私は、その夜、かけっぱなしの梯子を伝って、家の大屋根に登った。
 屋根に寝っ転がって星を見ていると、自分がどこにいるのかわからなくなる。そんな経験はないかい? 自分が丸い地球に張り付いて、寝ているのか、地球にぶらさがっているのか、わからなくなってしまう。
 ちっぽけな地球の表面に張り付いている私。宇宙のまんなかにぽっかりと浮かんでいる地球に張り付いている私。
 地球、太陽系、銀河、銀河団、泡構造、超新星、膨張する宇宙、ブラックホール、ビッグバン、百数十億年のかなた。それが目の前に広がっている。永遠のかなた。
 永遠ってなんだろう。宇宙のはてにはなにがある?
 そんなことを考えていると、なにが原因で親にしかられたのかすっかり忘れてしまう。
 でも、屋根から降りると、まだ怒っている父がいたし、父に気を使っている母もいたし、自分は怒られまいとこっちをうかがっている妹がいた。
 そうやって地表の現実のなかで、今日まで生きてきた。
 宇宙のなかのちっぽけな現実。喜んだり、悲しんだり、疲れたり、発奮したり、裏切られたり、愛したり、お金の心配をしたり。
 この命も、いずれ消えていく。
 死なない人はただのひとりもいない。偉大な人もちっぽけな人も、金持ちも貧乏人も、ひとしく皆、死を迎える。
 沈黙に戻る。

 村を離れ、都会に出たことを後悔してはいない。都会には都会の生活があった。ただ、夜中にこっそり裏口から抜け出し、ひと気のない公園をさまようとき、私の脳裏には谷川から沸き立つように舞い上がる羽化したばかりの蛍の光の渦が見えていた。降るような満天の星が見えていた。

 いま、私は、都会の電車のホームで、だれかにつかまえられ、引きたてられようとしている手を振りほどき、妻にたのまれた水道の蛇口のパッキンを買いに行こうとしている。

 ぼくの身体は軽くなり、ふわりと浮いて舞い上がる。

 そのとき、ふいに私は

    妻の
              名を

                              思いだす。

         青い空
                  と
                          白い    雲

(おわり)

沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき(2)

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—– 朗読パフォーマンスのためのシナリオ —–

 あれは何年前のことだったろうか、その犬の名前はいまとなっては妻の名前と同様忘れてしまったが、愛苦しいゴールデンレトリーバーで、まったく家族同様に暮らしていたのだから、その犬の名前を私が忘れてしまったのはおそらくフロイトがいうところのつらい記憶の番人の仕業に違いないのだが、彼の長い毛足のふさふさと柔らかな体毛の感触ははっきりとした実感をともなってまるでいまでも手をのばせばそこに実体化するがごとく記憶の奥底にしまいこまれていたし、それがトリガーとなってぐりぐりと動くたくましい躍動する筋肉の感触や雨に濡れるととくに強くなる身体のにおいまで実体化するようで、しかしいま私が思いだしているのは彼が悪性のリンパ腺腫でたった六歳で死んでしまったあの朝、まだぬくもりの残っている大きな身体を玄関のコンクリートのたたきから部屋のなかへと運びこもうと抱きあげたまさにそのときの感触でありました。私はその感触を
        なので神聖なことのようにいまでも感じているのであり、悲しみ、喜び、楽しみ、暖かさ、活発さ、冒険、新鮮、安心といったさまざまな感情の記憶とつながっている大切な記憶のトリガーといってもいいのであります。
 それなのに、であります。
 それなのに、であります。
 それなのに、であり    右手に知覚が戻ったのは、私の右手をなにかが強く圧迫しながら強い力で上へと持ちあげようとしていたときであります。私は私の神聖な記憶を無理矢理かなたへと押しやられ、かるい憤りを覚えながら、私の右手に起こりつつあることを認識しようとしたのであります。
 だれかが、何者かが私の右手をつかみ、強くつかみ、握りしめ、そして私の意に反して上のほうに差し上げようとしている。

 私が身体を密着させまいと懸命の努力をしていたところの私の前にいた短いスカートからむちむちした太ももをのぞかせていた女子高校生が首をねじまげて私のほうを見上げ、そう彼女は私よりずっと小柄だったため、私を見るためには下から見上げるような格好にならざるをえず、上目遣いになり、下方から鋭角に私を見上げることになり、視線は下から上へと向かって急角度で突きあげられ、私の目に視線が突き刺さり、私はそれがなにを意味するのかとっさには理解できず、ただ視線を受け止めるばかりで、とまどった私の視線が彼女に伝わったのかどうかすらわからず、彼女は鋭い視線を向け、その視線は怒りや憎しみに満ちているようにも見え、たんなる眼球がなぜそのような感情を表出するのか私には理解できず、眼球ではなく眼球を縁取るところの瞼や眉やそれを取り囲む表情筋が感情を表出しているのかもしれず、また瞳孔の奥の水晶体のさらに奥にある網膜に走る無数の毛細血管の脈動が感情の興奮状態を表出するのかもしれず、そんなことを
      の右手が私の意に反して無理矢理上のほうへと引きあげられていたのでございます。

 ち か ん
 で す こ
 の て で
 す

 電車はいままさに次の駅のホームへとすべりこんでいくタイミングであった。かの女子高校生がそのタイミングを見計らっていたことは明らかであった。私の思考は停止していた。いや、実際には停止していたわけではない。脈絡のある思考が失われていたというべきだろう。私の思考の道すじは脈略のあるストーリーを失い、意味を失っていた。思考が脈略を失ったとき、人は自意識を失う。自分になにが起こっているのかわからず、また自分が何者なのかもわからなくなる。私の右手は女子高校生につかまれていた。女子高校生は私の右手をつかんで肩より高く持ちあげていた。持ちあげたこの手が「ちかん」であると叙述していた。私の手はちかんなのか。ちかんとはなんなのか。なにをもって私の手はちかんと定義されるのか。
 私のまわりがざわめいている。電車はまさに駅のホームに停車しようとしている。電車のドアが開こうとしている。乗客のひとりがいう。こいつを警察に

       突きだすんだ。おれがいっしょに行ってやるよ。若い男の声だ。もうひとりがいう。私も行ってあげる。若い女の声だ。私はふたりの男女に両側からそれぞれ腕をつかまれ、開いたドアから電車の外へと連れだされる。
 電車のドアの外は駅のホームの上であった。駅のホームはまだ真新しい。数年前に路線の複々線化のために駅と線路が高架になり、駅のホームも新しく作りかえられた。どの駅も似たような風景になり、駅名のプレートを確認しなければ

             どの駅なのかわからない

 私たちの、私たちというのは私と私の右手をつかんだ女子高校生と私の両腕をつかんだ男女ふたりの計四人であるが、その私たちの背後で電車のドアが閉まる。振り返ると

      ドアのガラス越しに好奇の色を浮かべた乗客たちの視線が私たちに向けられている。視線が横すべりを始める。ゆっくりと横にすべっていき、しだいに速度をあげる。視線は私の視線から遠くはなれ

  見えなくなる。電車がハイブリッドモーターの音を高めながら       速度をあげる。八両編成の電車が
                ホームから離れていく。一瞬

   最後尾の車両の最後尾の窓から上体を半分のぞかせた車掌と視線が合い、パチン

            という音が聞こえたような気がするが、もちろんそれは錯覚で

         引きこまれるような風圧が私を線路側へわずかに押しやる。

 いい天気だ。

 真っ青な空がホームの上を覆う屋根の間から見える。それを見て、私は記憶を訂正する。あの日が梅雨時のむしむしした日かもしれなかったという記憶は間違いであった。からっと晴れた夏至に近い初夏の日であった。真っ青な空には真っ白な積雲が綿菓子のようにぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽっと浮かんでいる。綿菓子の手前を電車の架線が何本かまっすぐに横切っている。雲の背後を架線とは鋭角をなす角度の白い直線が横切っている。飛行機雲だ。飛行機雲だ。私は夏の空が好きだ。私は夏の空が好きだ。私の生まれた土地は田舎の山間部だったが、その夏の空も好きだった。私は夏の空が好きだ。飛行機雲だ。私が生まれたのは田舎のほうの、山が谷でくびれ、せせらぎが川となって平野へと流れこむ、その出口のところだ。小さな村となだらかな山があって、人々は長い年月をかけて山と折り合いをつけながら、段々畑や田圃を作ってきた。私が生まれたのは、コブシや桜が終わり、藤や桐が薄紫色の花を咲かせるころ、山吹が山裾の小道を黄色く彩るころだった。雪解けの名残り水が田に導かれて水平に広がり、空を映してぬるむと、白鷺が冬眠からさめた蛙をついばみ、子どもらはスカンポを噛みながら畦道を駆け抜ける。蛇口のパッキンを買わなければ、と私は思いだす。