木漏れ日のなかで

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   木漏れ日のなかで

                         水城ゆう

 木漏れ日のなかでちらちらと変化する赤の色彩がゆっくりとこちらにやってくるのを見つけ、私はおどろいて立ちどまった。いつもあの子がここを通るのを知ってはいたけれど、偶然こうやって出くわしてみると、不意をつかれたように胸がたかなる。
 あの子に見つからないように、木立の影に身を隠す。頭にかぶった赤い布に反射する光が不規則に動くのは、彼女が右を見たり左を見たりしながらゆっくりと歩いているせいらしい。ふらふらしているわけではなく、なにか目的を持った動きだ。私はすぐに彼女の目的を理解した。
 ちょうど私の真正面、森のなかを通る小径が私の隠れている木立にいちばん近くなっているあたりで、彼女は歩みをとめ、その場にしゃがみこんだ。そこは木立がまばらになり、ちょっとした緑の広場のようになっている場所だった。夏の朝の太陽が明るく差しこむ場所に、少女がまるくしゃがみこみ、草のなかに手をのばしている。
 そのようすを私はうっとりとながめた。
 半分おとなになりかけた少女の存在のうつくしさといったら、どんなものにもたとえようがない。あの衣服の下にはふくらみはじめ、いままさに開こうとする花のようなからだがある。
 私にもおなじようなときがあった。自分のことながら不思議な思いで自分のからだをまさぐったり、愛撫してみたものだが、あの子もきっとそうしていることだろう。私はその姿をいつも想像する。想像しながら、この熟れきったからだをなぐさめる。
 あの子が私にたいし、あこがれに似た熱をおびた視線を送ってくることに、私はちゃんと気づいている。そういう年齢だ。成熟したものへの強いあこがれがあることを私は知っている。
 村人たちは四つ歳上の漁師のピョートルに彼女が気があるといって、ことあるごとにからかったりするが、あの子はピョートルなどに関心はない。男にたいして怖れはあっても、まだ止めようがない磁力を感じたりはしていない。それを感じているのは、私にたいしてなのだ。
 木立の陰から目をこらし、彼女が野いちごをつんでかごに入れているようすを見つめた。思わず荒くなったこちらの呼吸の音が聞こえやしないかと、あわてて口をすぼめる。動悸と息づかいのたかまりとともに、自分の身体の奥がねっとりと熱く燃えはじめるのを、私は感じている。

 森のなかでも何か所かよく日のあたる場所があって、この季節、たくさんの野いちごが採れる。あたしがたくさん摘んで帰ると、おばあちゃんはそれをジャムにしてくれる。おばあちゃんのおいしいジャム。大好き。
 赤い実が緑の葉っぱのあいだにいくつも見える。よく熟しているものを選び、実をつぶさないように気をつけながら指先で折りとり、かごにいれる。まだ青白いものもあるので、それはまた何日かしてから収穫しよう。
 こうやって森にひとりでやってくるのも好きだ。おばあちゃんの家で本を読んだりするのも好きだけど、外のほうが好き。でも、村のまわりにはいつもだれか知った人がいて、なにやかやと話しかけられるのが面倒だ。とくにピョートルのことでからかわれるのは嫌。絶対に嫌。彼のことなんかなんとも思っちゃいないし、人が見ているとわかるとねじくれた髪を指でつまんでくるくると回しはじめるあの手つきが気持ちわるい。気持ちわるくて目をそらすのに、みんなは私が恥ずかしがっているのだと思いこんでいる。ピョートルもそう思っているにちがいない。
 いいんだ、カーミラのおばさんに守ってもらうんだ。なぜかおばさんなら私がピョートルなんかなんとも思っていないことをちゃんとわかってくれているような気がする。そんな話はしたこともないけど、そんな気がする。おばさんがあたしを見る目は、なにもかもわかっている人の目だ。
 あたしはカーミラのおばさんが好き。あたしもああいう大人になりたい。きれいで色っぽくて、でもつよくて男の人も気安く寄りつけない感じ。
 一度でいいからおばさんにぎゅってしてもらいたい。あの大きな胸に顔をうめて、いやなことを全部聞いてもらって、思いきり泣けたら、死んだっていい。あたしの身体をよしよししてくれるおばさんの手を想像すると、あたしの身体は暖かくなって、柔らかくなって、でも奥のほうはきゅってなって、とけてしまうみたいになる。

 かごのなかが野いちごでだいぶいっぱいになったのが見える。あの子はそろそろ立ちあがって帰りかけるだろう。
 私は決意して立ちあがり、木立の陰から出た。今日こそあの子を手にいれるのだ。今日をおいてチャンスはない。なんとか理由をつけてあの子をこの場にとどまらせ、先回りして祖母の家に行く。まずは祖母を片付け、それからあの子を私ひとりのものにする。
 私が近づいていくと、あの子も私に気づき、赤い頭巾の下から私をまっすぐに見た。その目に、隠しがたい喜びの色が浮かぶのを、私はたしかに見た。
 作る必要もなく私にも喜びの笑みが生まれた。
 両手を差し出せば、そのままこちらの胸に飛びこんできそうだ、と私は思った。

水色文庫について

ここに掲示するテキストの著作権は水城ゆうに帰属しますが、朗読(音読)についての著作使用権は解放します。朗読会、朗読ライブ、朗読教室、その他音声表現活動などで自由にお使いください。
その際、イベント内容についてひとことでかまいませんので、メールやコメントなどでお知らせいただけると、著作権者にとって望外の喜びとなります。

「水色文庫」の作品は電子ブック『祈る人』シリーズとしてアマゾンKindleから出版されています。こちらもご利用ください。

水城ゆうによる現代朗読ゼミやワークショップは、こちら〈現代朗読協会〉で開催されています。

English translation

Firefly (

作品一覧

◎世界を切りとる
「砂漠の少年」「Milagro」「Kalimba Man」「Thank You So Much」「リサ」「農夫」「この河」「Even If You Are My Enemy」「Him」「Depth」「Swallowed in the Sea」「Bangkok」「An Octpus」「コンテナ」「待つ」「きみは星々の声を聞いている」「かなたから来てここにたどり着く」「ビッグウェーブ・サーファー」
◎日常
「Lookin’ UP」「Bird Song」「温室」「初霜」「猫」「Time After Time」「Cat’s Christmas」「水族館」「眠らない男(人)」「Solar」「Love Letters」「じぃは今日も山に行く」「サンタの調律師」「人形」「プール」「クリスマス・プレゼント」「Something Left Unsaid」「Start」「親知らず」「ひとり、秋の海を見る」「京都という街へのタイムスリップ」「とぼとぼと」「先生への手紙」「Solitary Woman」「Come Rain Or Come Shine」「Here’s That Rainy Day」「締切り」「Dancin’ On The Door」「おばあちゃん」「High Life」「You Gatta Mail」「Morning Plain」「五年ぶりの電話」「Someday My Prince Will Come」「爪を切る」「Heaven Can Wait」「The Pursuit of the Woman with the Featherd Hat」「ダイエット」「妻のいない日、ひとり料理を作る」「きみを待つぼくが気にかけること」「ラジオ局」「I’m Grad There Is You」「At the Platform」「Soon」「左義長」「A Flying Bird in the Dark」「単独行」「おまえの夏休みの宿題に父は没頭する」「豆まき」「コーヒー屋の猫」「自己同一性拡散現象」「ラジオを聴きながら」「蛍」「Firefly」「The Woman of Tea」「今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ」「薪を割る女、蜜蜂」「暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ」「世界が眠るとき、私は目覚める」「かそけき虫の音に耳をすます」「編む人」「悲しみの壁に希望を探す」「きみは星々の声を聞いている」「かなたから来てここにたどり着く」「遠くからやってきた波に乗るということ」「夏の思い出」「肌にあたる海水の冷たさを思い唇がほころぶ」
◎メッセージ
「祈る人」「To the One Who Pray」「気分をよくして」「先生への手紙」「Fourteen」「雨のなかを」「古い友人への手紙」「A Red Flower」「眠らない男(人)」「雨の女」「I Am Foods」「祈り」「The Green Hours」「You Gatta Mail」「僕はスポーツ」「先生への手紙」「When It Rains」「Ranmaru Blues」「とぼとぼと」「ダイエット」「Miracle of the Fishes」「あめのうみ」「安全第一」「Ba-Lue Bolivar Ba-Lues-Are」「Why Do You Pass Me By」「Majisuka Police」「An Old Snow Woman」「The Sound of Forest」「The Night Has a Thousand Eyes」「Cat Plane」「青い空、白い雲」「Blue Sky, White Clouds」「朝はきらいだ」「Airplane」「A Flying Bird in the Dark」「捨てる」「共同存在現象」「しょぼんでんしゃ」「人像(ヒトガタ)」「歌う人へ」「亀」「また君は恋に堕落している」「死に向かう詩情」「自転車をこぐ」「飛んでいたころ」「身体のなかを蝶が飛ぶ」「ふとんたたき」「おんがくでんしゃ」「コップのなかのあなた」「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にある」「イカ墨はえらい」「祝祭の歌」「帰り道」「On the Way Home」「繭世界」「朗読者」「舞踏病の女」「移行」「夜と朝をこえて」「待つ」「暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ」「悲しみの壁に希望を探す」「マングローブのなかで「クラリネット」
◎不思議な話
「Three Views of a Secret」「Death Flower」「How Deep Is the Ocean」「ある夏の日のレポーター」「眠らない男(人)」「失われし街」「洗濯女」「タイム・トラベラー」「Smile of You」「手帳」「Depth」「Lonely Girl」「The Pursuit of the Woman with the Featherd Hat」「Oni」「階段」「ギターを弾く少年」「ふたつの夢「ひとつめの夢」」「ふたつの夢「ふたつめの夢」」「木漏れ日のなかで」「暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ」「夏の思い出」「ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性」
子どものころの七つの話
 「一 風呂の焚きつけの薪の話」
 「二 川に流された妹の話」
 「三 父と釣りに出かけた話」
 「四 ミミズの話」
 「五 蜂に刺された話」
 「六 夏の話」
 「七 砂場の糞の話」
「見えますか、私?」「きのこ女」「夜と朝をこえて」「ベニテングタケ子の好奇心」「世界が眠るとき、私は目覚める」「ロード・オブ・ザ・カッパン」「ファラオの墓の秘密の間」「イベントホライズン」
◎思考
「砂時計」「講演」「The Underground」「コップのなかのあなた」
◎音楽
「Three Views of a Secret」「Night Passage」「Lookin’ UP」「Solar」「How Deep Is the Ocean」「サンタの調律師」「Blue Monk」「雪原の音」「Come Rain Or Come Shine」「Here’s That Rainy Day」「セカンドステージ」「アンリ・マティスの七枚の音(1)」「アンリ・マティスの七枚の音(2)」「The Underground」「ギターを弾く少年」
◎男と女
「Milagro」「Night Passage」「彼女が神様だった頃」「Lookin’ UP」「移動祝祭日」「How Deep Is the Ocean」「Thank You So Much」「Cat’s Christmas」
 「Nearness of You」
「眠らない男(人)」「雨の女」「Blue Monk」「航跡」「沖へ」「Smile of You」「夏の終わり、遊覧船に乗る」「The Green Hours」「嵐の中の温泉」「ねむるきみと霧の中を通って」「セカンドステージ」「It Might As Well Be Spring」「I’m Grad There Is You」「Oni」「The Woman of Tea」「ベニテングタケ子の好奇心」「夏の思い出」
◎シナリオ
「初恋」「沈黙の朗読——記憶が光速を超えるとき(1)」「沈黙の朗読——記憶が光速を超えるとき(2)」「沈黙の朗読——記憶が光速を超えるとき(3)」「特殊相対性の女(1)」「特殊相対性の女(2)」「特殊相対性の女(3)」「祈り」「群読シナリオ「前略・な・だ・早々」(1)」「群読シナリオ「前略・な・だ・早々」(2)」「群読シナリオ「前略・な・だ・早々」(3)」「群読シナリオ「Kenji」(1)」「群読シナリオ「Kenji」(2)」「群読シナリオ「Kenji」(3)」「ギターを弾く少年」
◎未来
「Night Passage」「Blue Monk」「The Burning World」「The Sound of Forest」「きみは星々の声を聞いている」「かなたから来てここにたどり着く」「アルチュール」「南へ」「ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性」
◎海とヨット
「迷信」「彼女が神様だった頃」「移動祝祭日」「Thank You So Much」「ぼくらは悲しみを取りかえる」「彼女の仕事」「嵐が来る日、ぼくたちはつどう」「航跡」「沖へ」「夜の音」「夜に聞くデッキの雨の音」「梅雨の合間に聴くマーチ」「コンテナ」「マングローブのなかで」「遠くからやってきた波に乗るということ」「落雷」「ビッグウェーブ・サーファー」「肌にあたる海水の冷たさを思い唇がほころぶ」

ベニテングタケ子の好奇心

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   ベニテングタケ子の好奇心

                         水城ゆう

       1

 あたしはおそれているのです、あの子のことを。たしかにあたしの娘であるからには、次々と男をとっかえひっかえ渡りあるく性癖も理解できようというものですが、それにしてもあの子にはどこか、あたしとは決定的にちがうところがあります。
 もちろんそれは「ベニテングタケ」のせいにちがいありません。
 あたしが生まれたミジュリシュカヤフスタニントン村にはふるくから男たちだけのあいだにつたわる奇妙な風習があって、それはベニテングタケが採れるとそれを三日間天日干しにしたあと、こまかく砕き、アルコール度数九八パーセントのアクアヴィットにつけこんで一年おいたベニテングタケ酒を、祭りのときに回し飲みするというものです。男たちはアルコールとベニテングタケの幻覚成分で神様と交信し、翌年の収穫を占うというのですが、実際にはただいい気分になって女たちとまぐわうにすぎません。
 聞いたところでは男の絶頂は女のそれに比べて十分の一とか二十分の一しかよいものではないらしいではありませんか。なんとも気の毒ですが、ベニテングタケ酒を飲むと全身がものすごく敏感になって女とおなじくらいあれがよいものになるというのです。
 ならば、女があれのときにベニテングタケ酒を飲んだらどうなるんでしょう。
 あたしはそのときまだ十九で好奇心のかたまりでしたし、男といたすことについてもいまほど慣れきってはいませんでした。その日のあたしの相手はあたしよりひとつ年下の、まだそれまでに二度しか交わりをもったことのないハタケシメジ夫でした。彼が部屋にしのんでくる夜中の約束の時刻のすこし前、あたしは父や祖父がベニテングタケ酒を大切にしまってある地下室にしのびこみました。地下室の奥の、鍵がかかる棚にベニテングタケ酒がしまってあるのですが、あたしはその鍵がどこにあるのか知っていたのです。
 あたしは瓶からベニテングタケ酒をひと口、ふた口飲み、急いで部屋にもどりました。あたしの身体は火がついたように熱くなり、あそこも心臓がそこに移動したのではないかと思えるほどドキンドキンと脈打ってうずいていました。
 あとで思えば、そのときにあの子があたしのお腹に宿ったのです。

       2

 私のことをまるでいまにも重大犯罪を犯す者であるかのように母が警戒したまなざしで見ていることは知っている。実際、私が関係を持った相手の名前も素性もそのほとんどを母は把握しているはずだ。しかし、そのこと自体は犯罪とは関係がない。私自身、犯罪をおかすつもりなど毛頭ないのだ。
 しかし、私には、好奇心、がある。
 どうしようもなく押さえきれない、肥大しきった好奇心。
 もし男のふくれあがってベニテングタケ化したあそこを切りとって食べたらどんな味がするのであろうか。
 私が寝た男は、全員、あそこがベニテングタケ化する。

       3

 最初に気づいたのは二年前のことでした。ということは、あの子は十七だったということです。
 そして今日、仕事が早めに終わって、いつもより早い時間に家にもどってみると、あの日とおなじように気配がありました。あの子だけでなく、だれか来ている気配があったのです。あたしはとっさに息をひそめ、そっと家のなかにはいりました。
 あの子の部屋から物音と人の声が聞こえてきました。そう、あたしにはすっかりなじみのある、男と女のひめやかな声と気配。最初のときも、まだ十七のあの子が自分の部屋に男を連れこみ、コトにおよんでいることを、あたしは意外に冷静に受けとめていました。なにしろ、あたしもそのくらいの年ごろにはすでに何人か知っていたからです。ましてや時代が時代ですもの、十七のあの子は遅いくらいです。そして今日、それを当然のように受けとめながらも、あたしはどうしようか、身を持てあまして、なんとなくぼんやりと居間にたたずんでおりました。あの子の部屋からは男女の声が高まったり低まったりしながら、断続的に聞こえてきます。いつもより早い時間に帰ってきてしまった自分を後悔しはじめていました。そこであたしは、いったん家を出ようと思って、玄関に引き返そうとしました。
 そのときです。
 ひときわ声が高まったかと思うと、家具がぶつかる音がし、さらに声が異常なほどに高まりました。それはまるで、死の恐怖に接した人間がいまわの際に発するような、恐怖の叫びに似たようなすさまじい声でした。あの子の声ではなく、あきらかに男のほうの声です。
 あたしはびっくりして立ちすくみました。それはあたしですら聞いたこともない、快楽を極めたときの男の絶頂の声だったのです。

       4

 私が生まれたミジュリシュカヤフスタニントン村の風習では、男たちはベニテングタケ酒を飲んで女とまじわり、翌年の収穫をうらなうという。ベニテングタケ酒を接種した上での交接は、男たちにも神に接近する至福をもたらし、未来予兆ができるという話だが、真偽のほどは疑わしい。男たちが大きな快楽を手にいれるためにそのような儀式を捏造したのではないかと、私は疑っている。
 しかし、私と合体した男は間違いなく、本物の至福を得ることができる。私の身体はベニテングタケ酒を凌駕する快感を男に注ぎこみ、ときには発狂にいたる者すらある。
 たいていの場合、快感のあまり、最後の瞬間に接合したまま男たちは失神する。しばらくたつと、ようやく力を失って私のなかからどろりと抜けだすのだが、それはベニテングタケそのものに変化している。失神から回復すると、男たちはそれを股間に抱えたまま私のもとを去っていくのだが、その後それがどうなったのかは私にはわからない。その後、ふたたび私のもとにあらわれた男はひとりもいないし、だれひとり連絡がつかなくなってしまうからだ。
 私のなかから現れたベニテングタケは、見るからに毒々しくおいしそうだ。私はそれをしばしば口にふくんでみたが、それは私と男の体液の味しかしなかった。しかし、表面ではなく、それそのものを味わってみたとき、どのような味がするのか。
 私の好奇心はふくらみつづけるばかりだ。

       5

 そのあとすぐにあの子の部屋のドアが開きました。あたしは家を出るタイミングをうしなってしまいました。
 ドアから出てきたのは、あの子ではなく、ひとりの男でした。彼はなにも身にまとっていませんでした。だからあたしは見てしまったのです。男の股間からニュッと生え、丸く傘を張って毒々しく色づいたベニテングタケを。
 それはあきらかに男性の肉体ではなく、完全にキン類(キン類のキンはばい菌の菌ですお間違えなく)のそれでした。二〇センチもあろうかという茎の部分はほとんど真っ白、丸く張りだした傘は基本色が朱色がかった赤、そして白いイボが点在しています。
 娘を懐妊したとき、あたしは心配になっていろいろと調べたから知っているんですが、毒きのことされるベニテングタケの毒性はおもにイボテン酸、ムッシモール、ムスカリンなどで、じつはそう強い毒性ではありません。イボテン酸などは大変おいしい旨味成分なので、食べればとてもおいしいきのこなのです。たくさん食べれば中毒症状を起こすこともありますが。
 だから少々なら食べられるのです。そしていまこの男の股間に生えたきのこも、ぬらぬらと男女の体液にまみれ、いかにも食べてくれと訴えているかのようでした。

       6

 私は母にそれを切除し、ふたりで食べてみようと提案した。

       7

 あたしはキッチンから包丁を持ってきました。これを切りとって食べようと、娘から提案されたからです。それはとても魅力的な提案でした。それを実行することで、あたしと娘とのきずなも深くなるはずでした。
 しかし、このベニテングタケを切り取ることは、はたしてベニテングタケを切ることになるのか、それとも男の肉体の一部を切り取ることになるのか。
 あたしがこれを切り取ると、男はどうなるのか。
 そして、いままで娘と関係した数々の男たちは、いったいどうなってしまったのか。いまどこでなにをしているのか。

       8

 私は包丁を手にしたまま、おびえた視線を私に向けている母を見た。
 母は私の目に、強大な好奇心を見ているはずだ。
 私はかんがえている。この男のベニテングタケを食することで、私はいったいどうなるのだろう。ひょっとして私の生命が受胎したその瞬間からはじまっていた巨大なメタモルフォーゼの最終段階に到達するのではないか。そのとき、私はいったい、何者になるのだろう。
 きのこの女王かもしれない。

(おわり)

夜と朝をこえて

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   夜と朝をこえて
     ――沈黙の朗読のためのテキスト

                         水城ゆう

       1

 南西の風が北寄りに変わって、波の打ち寄せる音が変化したことに、彼女は気づいていた。しかしまだベッドから出る気にはなれない。すでに陽はのぼっていて、カモメが喉をつぶしたような声で鳴きながら島を低く飛びこえていくのも聞こえていた。毛布の端で頬に伝った涙をふきながら、いましがた見たばかりの夢のことを思いだしていた。
 船で島を出てついにもどってこなかった夫が、なんの前触れもなく帰ってくる。彼女はかつて夫を送りだした桟橋に立っていて、海から近づいてくる夫の船を見ている。船は出ていったときとなにも変わらず、古びて、船体のペンキはところどころはがれおち、船べりは岩場に何度も打ち当てたせいでささくれだっている。船名の最初の文字が欠け落ちているのも、舳先像《フィギュアヘッド》の女神の首が折れているのも、昔のままだ。
 船室のガラス越しにまっすぐこちらを向いて舵をとっている夫の顔が見えた。なつかしいツーストローク・エンジンの音に誘われるように、彼女は桟橋の突端に向かって小走りになった。海水で腐食されたギシギシいう板を踏みしめて走りはじめて数歩、彼女はすぐにこの桟橋がとうの昔に台風で流され、いまはもうないことを思いだした。そのあとに仮に作られた安普請《やすぶしん》のみじかい浮き桟橋が、いまもそのまま使われている。だから、この昔の桟橋はもうないのだ。そう気づいたとき、目がさめた。
 未明に雨が降ったらしい。水滴が付着した窓ガラスの向こうに、雲のかたまりの合間から、いまは青空が見えていた。カモメが二羽、三羽と飛びすぎていく。大きくため息をついてから、彼女はようやくベッドの上に身体を起こした。
 くしゃくしゃになった髪に指をとおし、かきあげる。くせ毛なのに指のとおりがいいのは、今日がこれから天候回復にむかう兆候なのかもしれない。ほんのわずかよくなった気分を種火《たねび》のように大切におこしながら、毛布を脇へずらし、ベッドの下に足をおろす。床は冷たく、なぜか内履きは遠くで「ハ」の字になり、おまけに片方は裏返っている。
 立ち上がってとにかく上履きをつっかける。フェイクファーの感触に足指がほっとあたたかくなる。まだ生きているのね。このような朝があと何回やってくるのだろう。とかんがえて、自分がまるで老婆のようなかんがえかたをしていることに気づいた。生まれてもうすぐ半世紀がたとうとしているが、まだ老婆とはいえない。身体はだいぶおとろえ、動きはにぶくなり、それに反してふっくらとしてきてはいるが、まだ顔も手も乳房もしわくちゃではない。
 寝間着を脱ぎ、着がえて階下のキッチンに向かった。
 流しの窓辺に置いてある小さな鉢植えのオリヅルランが、このところの春の日差しでようやく新芽をのぞかせている。この鉢は週に一回、町から食料や日用品を船で運んでくる男がくれたものだ。彼は彼女よりすこし歳上で、自分に恋心を抱いていることを知っていた。しかし、彼には自分の二倍ほどもある立派な女房がいて、いつも監視の目で彼を見ていることも知っている。
 オリヅルランに水をやり、湯をわかす。コーヒー豆をひき、ドリッパーにネルをセットし、丁寧にコーヒーをいれる。時間がたっぷりある自分には、なにごともゆっくりと丁寧にやる癖がついているのだが、それはいつごろからなのか自分でもわからなかった。
 東の窓ぎわに置いた椅子にすわり、もうそろそろまぶしくて直視しにくくなりつつある太陽と、その前を通過する綿雲をながめながら、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。いつもの朝といいたいところだが、彼女は起きてからずっと違和感が耳の下から肩のあたりにわだかまっているのを感じていた。
 なんだろうか、この感じ。なにかがこの島に――彼女ひとりしかいないはずの島にいる。

       2

 コートハンガーにかけてあった白いショールを羽織《はお》ってから、南向きのドアをあけて外に出る。風が強まっているようだ。夜中、眠っているときも風の音がしきりに聞こえていたことを耳の奥が記憶していたが、それよりも風は強くなり、北寄りになっている。波頭《なみがしら》が風でささくれ、空中に誘われた水滴がさらにこまかい霧になって、潮《しお》のかおりを運んでくる。
 ドアの外の三段ある石段を、あたりに注意を払いながらゆっくりと降りる。違和感は島の北西の方角にあるような気がする。
 波の音にまじってギイギイという音が聞こえる。なにか岩に押しつけられ、こすれるような音。流木でもひっかかっているのか。右手のほうへ家をまわりこみ、岩場のほうに向かう。
 島全体は岩場にかこまれていて、家と灯台は盛りあがった地形のてっぺんに建っている。家の脇には林というより茂みに近いような小さな雑木林。その前には畝《うね》が五本あるせまい畑と鶏小屋がある。灯台は林の向こう側の北東の角に建っている。彼女が向かっているのは灯台とは反対側にのびた小径で、岩場をぬって斜めに海へと降りている。彼女はその小径をめったにたどることはない。それはかつて夫がサザエやアワビを採るために海にはいるときに使った道だった。彼女が海にはいることは、もうない。
 ながくとおっていない小径は、風で飛ばされた砂利や枯れ枝が足場の岩に乗り、ともすれば足をすべらせそうになる。落下し、岩にたたきつけられても、助けを呼ぶ手段はない。人がいるのは四〇〇メートル海をへだてた港だ。腰をかがめ、ときには岩をつかみ地面に手をつきながら、慎重に岩場を降りていく。
 やがてギイギイいう音の正体が見えてきた。船だ。たぶん漁船なのだろう、小さな木の船で、岩に打ちあてられ、ほとんどバラバラに壊れている。船体の上に乗っていた操舵室だけが、横倒しになってはいたがバラバラにはならず、岩と岩のあいだにすっぽりはさまって波に打たれていた。これが海面に揺さぶられるたび、岩肌にこすれてギイギイ音を立てているのだった。
 古びた船だ。人は乗っていたのだろうか。それとも、打ち捨てられた廃船が流れついただけだろうか。調べるためにさらに近づいた。
 横倒しになった操舵室のなかに人影が見えた。人が遭難しているのに出くわして、彼女は急に動悸が激しくなるのを感じた。どうしよう、死んでいるのかしら。死んでいるとしたらこわくてとても見れない。生きているとしてもどうしていいかわからない。助けを呼ぶ? ひとりで介抱する? 負傷していたらどうする? 立ちすくんだ足をなんとか運び、岩につかまりながら操舵室のなかをのぞきこんだ。
 舵にもたれかかるようにして倒れている人がいた。男だ。いや、その顔は男の子といっていいほど若い少年で、髪は濡れて額にへばりつき、顔面は真っ白だった。血の気はなかったが、生きていることはわかった。息があったからだ。ほかに怪我をしているようすはなかった。衣服はずぶぬれだったが、出血はなかった。
 彼女はドア口から上半身を突っこんで手をのばした。手の先が少年に触れた。声をかけてみる。反応はない。手で顔に触れてみる。冷たい皮膚はなめらかだった。掌を頬にあて、二度、三度と声をかけながらさすってみる。
 まるで長いまばたきの瞼が開くときみたいに、少年の目がなにごともなく開いた。

       3

 水平線から昇りはじめた太陽の光が島にとどき、まだまばらな東側の木々のあいだをとおって窓ガラスにまだら模様を作っている。いつもなら目がさめてもすぐには起きあがらず、ぐずぐずとベッドでだだをこねているのだが、今日はすぐに身体を起こした。隣でもうひとつの暖かみがこちらの動きに気づくこともなく寝息をとぎらせない。
 左のまぶたに朝日がわずかにあたっていて、女の子のように長いまつげがふるえている。いや、まつげがふるえているのではなく、光が動いているのだ。彼女はそれをうっとりとながめていた。だれかといっしょにベッドで朝を迎えるなんて何年ぶりだろう。
 少年がいっしょに寝たがったのだった。名前も年齢もわからない。彼は口をきかなかった。口をきけないのか、あるいはなんらかの理由で口がきけなくなっているのか。なぜあの船に乗っていたのか、どこから来たのか。なにもわからない。とにかく、夜をこわがって彼女にしがみつくようにしてベッドにもぐりこんだが、疲れた身体がすぐに彼を深い睡眠へと誘いこんだらしい。
 寝間着の上からガウンを羽織ろうとして思いなおし、裾の長いダウンジャケットを寝間着の上から着こんだ。階下に降り、外履きをはいてそのまま外に出る。
 林をすかして水平線に太陽が見えた。朝焼けはないが、いくつか浮かんでいる綿菓子のような雲の下はオレンジ色に輝いている。海は今朝はおだやかなようだ。
 林の手前にある鶏小屋のところに行くと、荷箱から餌の袋をつかみだし、風でバタバタしないようにくくってある取っ手の紐をほどき、なかにはいる。いつものことだが、鶏たちが餌の予感に鳴き声をあげ、あわただしく動きまわる。餌をあたえてから、巣箱のなかにある卵を回収する。およそ二十匹いる鶏が、今朝は六個の卵を産んでいた。全部自家用ではなく、余ったものはときおり港に持っていって売る。そのお金でバーに寄って、港の男たちとすこし話す。
 まだ暖かい卵を持って家にもどり、ダウンジャケットを脱いで代わりにガウンを羽織り、キッチンに立った。数日前に届けられたブロッコリーをゆで、パンを薄くスライスして、ベーコンエッグを作る。あの子、コーヒーはもう飲めるだろうか。ミルクがあったらよかったのに。彼女はもうミルクを飲む習慣を持っていない。

       4

 朝食を準備し、いっしょに食べ、昼食を準備し、いっしょに食べ、夕食を準備し、いっしょに食べる。その合間に話しかけ、沈黙で答えられ、パニックになった身体を抱きしめてやる。島を散歩し、鶏と灯台を見せてやる。畑に大豆をまくやり方を教え、いっしょに豆をまく。
 遭難者かもしれない少年のことを、彼女はまだだれにもいっていない。彼をさがしている人がいるかもしれないと思う。しかし、彼はさがされていないという直感がある。彼のことを通報しなければとかんがえると同時に、通報してはいけないともかんがえる。
 彼はひょっとしてこの島に、永遠に彼女といっしょにすごすためにやってきたのかもしれない。どこからか。そういえば、彼を乗せてやってきて難破した船の名前を確かめていなかった。少年をたすけた翌日、岩場におりてみると、そこにはもう船はなかった。バラバラになった船は満潮とともに波にさらわれ、流されてしまったらしい。思いかえすと、あの船はなんとなく、夢に出てきた夫の船とそっくりだったような気がする。
 明日は週に一回の町の男が食料品をとどけに来る日だ。少年をどうしようか。男にたのんで町に連れかえってもらって、警察にとどけてもらおうか。それとも隠しておこうか。男は少年を見たらどうするだろうか。何日かいっしょにすごし、おなじベッドで眠っていたことを知ると、男は嫉妬するだろうか。もし少年を隠しておいたとして、いつまでもそのことを知られずにいっしょにすごすことなどはできないだろう。それとも私はこの少年とずっとこの島でふたりきり、蜜月のようにすごすことを夢見ているまぬけな女なのか。町の者たちにそのことが知れたらどんなことをいわれるのやら。
 夕方、食事のしたくをしようとキッチンに行ったら、少年が立ったまま窓から外を見ていた。お腹がすいたのかと訊いてみたが、返事はない。待っててね、夕食はすぐにできるからね、といいながら少年にちかづいたとき、彼の身体がこきざみに動いていることに気づいた。震えている。こわいの? 船の事故のことを思いだしたの?
 少年がゆっくりとこちらを振りむいた。泣きそうな顔をしている。眠りにつく前、そして真夜中に目をさまして、何度かこういう顔を見せてからパニックにおちいった。そのたびに母親のようにぎゅっと抱きしめてやった。いまも両手をひらくと、少年が腕のなかに身体をあずけてきた。もう男の身体になりつつあるごつごつした背中に手をまわし、抱きよせて力をいれる。こわいことを思いだしたのね。もうだいじょうぶ。ここは安全だから。もうなにもこわいことはないわ。落ちつくまでずっとここにいていいのよ。私がお世話してあげる。守ってあげる。
 少年の背は彼女よりすこしだけ低い。やせた胸が彼女の胸に押しつけられている。何人かの男の口にふくませたこともある乳首が、少年の胸に押しつけられ、切なくうずいた。もう何年も男に抱かれていなかった。このうずきは母親が子どもに乳首を吸わせるときのものではなく、女の身体としてのものだ。明日になったら、町の男がやってくる前に電話して、警察官を連れてくるようにたのもうと思った。
 そのとき、少年が耳元でなにかいった。これまで一度も聞いたことのない少年の、声変わりがはじまったばかりのかすれた高い声。なんていったの? もう一度いって、お願い。少年がふたたび口を開いた。
「つなみがくるよ」

       5

 夜になって風がないだ。外はくもっているが、波もおだやかなようだ。夕食のあと、少年は彼女が持っていた本を読みはじめた。あれきりまたひとことも口をきかなくなっている。本はロシアの絵本で、ロシア語は読めないがカラフルなキノコがたくさん出てくるので気にいっていて、ときどき本棚から取りだしてはながめるのが好きだった。子どものときから持っている本なのでもうぼろぼろだが、どうしても捨てる気になれないのだ。
 テーブルをかたづけ、洗い物をはじめる。おおかた洗いおわりかけたとき、ふと首すじにつめたい空気を感じた。ふりむくと、玄関のドアがあいていて、少年の姿がない。読んでいた本はテーブルの上に置かれている。
 手をふき、あわてて外に出る。もう外は真っ暗だ。しかしまだわずかに夕刻の光がのこっていて、あたりのようすはなんとか見える。少年の姿をさがす。林のわきからつづく小径を灯台のほうに向かっている少年が見えた。そちらに向かいながら、少年が灯台の入口に立ち、木のドアをあけるのが見えた。
 少年の姿が灯台のなかへと消えた。彼女は小走りに灯台の入口にたどりついた。なかにはいる。石造りの階段が螺旋状に上へと向かっている。足音が聞こえた。彼女は少年のあとを追って階段をのぼった。
 階段の一番上に回転機械室があり、モーター音が聞こえる。外に出るちいさなドアがあり、ぐるりと灯台のてっぺんを取りまく手すりのついた回廊がある。ドアをくぐって外に出た。
 少年の姿はなかった。ぐるりと一周してみたが、いなかった。手すりから身を乗りだして下をたしかめてみたが、落下したようすもなかった。
 少年の姿はまるで煙が立ちのぼるかのようにかき消えてしまった。
 空を見上げると、うすい雲のむこうにぼやけて見える満月の前を、羽化したばかりの大きな蛾が一匹、ひらひらと飛びすぎていくのが見えた。

きのこ女

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  「きのこ女」 水城ゆう

 ガラス越しに柔らかな日差しがさしこんでくる。
 光線はトガリアミガサタケの編み笠のあいだを通って、私の腕にまだら模様を作る。
 外はから風が吹きすさぶ真冬らしい天気のようだが、この温室の中はじっとりとあたたかな湿り気をふくんだ別世界となっている。

 オニイグチモドキ。
 最初に温室を作ろうと思ったのは、いつのことだったろうか。たしか最初は、近所のホームセンターで買ってきた、組立式のちっぽけな温室だった。アルミの枠にガラスをはめこんだだけの、まるで透きとおった犬小屋のような温室。
 イッポンシメジ。
 その温室を私はベランダの隅に組みたて、通信販売でとどいた何種類かのキノコ栽培キットの菌床を中にならべた。ブナシメジ。シイタケ。エノキダケ。キノコは前から一度、栽培してみたいと思っていたのだ。薄暗い林の下地に見え隠れする不思議な植物。あやしくしっとりした手触り。
 キンチャヤマイグチ。
 実際に育てはじめてみると、うまく菌床を育ち、キノコを発生させ、大きく育てるには、いろんなコツが必要なことがわかってきた。ただ温室にいれ、温度と水分を保っているだけでは、うまく育ってくれないのだ。
 オトメノカサ。
 しかし、いろんな本を読んだり、きのこ栽培のマニアや専門業者をたずねて情報を得たりするうち、私にもしだいに何種類かのキノコを育てられるようになってきた。私のちっぽけなベランダの隅の温室の中で、栽培がむずかしいとされるキノコが何種類かイキイキと発生してくるのを見るのは、楽しかった。
 アンズタケ。
 そうなると欲が出てくるのは、人情というものだろう。私は、もっと大きな温室がほしくなった。幸い私はひとり暮らしだ。売れない漫画家なので、アシスタントもやとわず、ひとりでほそぼそと仕事をしている。私は思い切って、ベランダ全体を温室に改造してしまうことにした。そうして完成した大きな温室は、その湿度といい、生暖かさといい、まことに満足できるものであった。
 ウラベニホテイシメジ。

 ベニテングタケ。
 ベランダ全体を改造して作った温室は、あまりにも広々としていて、菌床だけではなんだかもったいなかった。そこで私は、クヌギの原木を持ちこんだ。直径一〇から一五センチ、長さ一メートルほどの原木を業者から二百本購入し、井桁に組んで温室のなかに積みあげた。湿度は七〇パーセント前後と高めに維持する必要があったが、そのための加湿器も持ちこんだ。しかし、なにしろ、温室だ。保温装置は必要としない。そんな環境が幸いしたのか、菌を接種した原木からは、やがてむくむくと無数のシイタケが発生し、特有のよい香りを温室に充満させるようになった。
 クサウラベニタケ。
 ベランダの温室は、大きな原木の山をふたつ作ってもまだ余裕があった。そこで私は、グリーンイグアナのケージを中にぶらさげることにした。
 アシベニイグチ。
 ペットショップで買ってきたグリーンイグアナは、ケージの中でさかんに舌なめずりし、密林の雰囲気をかもしだしてくれた。そもそも私は乾燥が苦手で、空気が乾燥していると鼻がカサカサしてくしゃみが止まらなくなったり、ぜんそくぎみになったりすることが多い。乾燥しているところよりじめじめとした気候のほうが向いているのだ、ということを、その頃になってはじめて自覚したものだ。キノコ温室の中にいると、身体の調子までよくなるようだった。
 カラマツベニハナイグチ。
 持病のぜんそくも、温室を作ってから発作が軽くなったような気がした。高い湿度と適度な温度によって、温室にいるときは体調も快調で、仕事のアイディアもはかどった。湿度でノートがすぐにべたべたし、紙がぐにゃぐにゃするのは困ったが、温室にアイディアノートを持ちこんで仕事の構想を練るのが私の日課になった。
 ある日、私はいつものように温室の中で植物たちの世話をしていて、ふと思いついた。
 ホンシメジ。
 ここに仕事机を持ちこめないだろうかクリフウセンタケ、と。

 コフキサルノコシカケ。
 ベランダを改造して作った大きな温室といえども、さすがに漫画家の巨大な仕事机を持ちこむことはできそうになかった。そうしようと思ったら、せっかく持ちこんだクヌギの原木やグリーンイグアナのケージを撤去しなければならなくなる。それはいやだ。私はかんがえた。つまり、トリュフ、前庭に新しく温室を建てられないだろうか、と。
 いろいろ検討した結果、私は知り合いの工務店に相談し、前庭の敷地いっぱいを利用して専用の温室を建てることにした。ホウキタケ。ベランダの温室ですごす時間が多くなったせいか、不健康だった漫画家の生活のわりに健康状態がよくなり、このところ仕事がはかどるようになっていた。そのせいですこしだけ収入が増え、オオワライタケ、専用の温室を建てられるくらいの蓄えがあったのだ。
 十五坪ほどの前庭の敷地に、さっそく大きな温室が建てられた。
 新しい温室ができると、私はササクレシロオニタケ、ベランダの温室から菌床、原木、イグアナのケージなどを引っ越しさせ、さらに自分の仕事机や仕事に使う道具棚なども持ちこみ、そこで仕事をはじめた。
 イヌセンボンタケ。
 まことに快適であった。私は、ヌメリササタケ、ショウゲンジ、一日中じっとりと湿った空気のなかで菌類に囲まれた机に向かって仕事をした。体調は最高で、コレラタケ、睡眠もほとんど取る必要がなかった。ドクササコ。私は机の上にも菌床をびっしりと敷きつめ、いつでもキノコの胞子のかぐわしいかおりを味わえるようにした。ヤマドリタケモドキ。理由はよくわからないが、お腹もまったくへらなくなり、食事の回数もどんどん少なくなっていった。まるで全身からキノコの養分を吸収しているような感じだった。
 私は温室でカキシメジ仕事し、温室でシモフリシメジ眠り、温室でルズミシメジ目覚めたハエトリシメジ、ミネシメジ。いつしかそれが現実のできごとなのか、夢のなかのできごとなのか、区別がつかなくなっていったムラサキナギナタタケ。
 私はいまツキヨタケ、机にむかって仕事をしているが、私の腕、手、指、ペンには菌糸がからみついているハツタケ。私の全身も菌糸と胞子におおわれキチチタケ、右の脇腹と肩のあたりにはキノコが何本かスギヒラタケ発生している。私はとてもしあわせだ。このままキノコたちと同化しハナビラニカワタケ、温室のなかでまどろみながらサナギタケ、さらに菌糸をあたり一面にのばしていきたいヤグラタケ。私は菌たちとともにドクヤマドリ世界とシャカシメジひとつになるのだキクラゲ、マツタケ、オオイチョウタケ。

移行

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   移行
              作:水城ゆう

私は木を見るように
あなたを見る
私は木をながめるように
自分をながめる

あなたは揺れている
風に吹かれて木が揺れるように
ときにはゆったりと心地よさそうに
ときには激しく嵐にもまれるように
私もそれを見て
ともに揺れる

灯台のてっぺんをすれすれにかすめて
戦闘機がやってきたとき
臆病な私は
闇夜を飛ぶ蝙蝠のように
ひらひらと逃げまどった

巨大な建屋が水素爆発を起こして
きのこ雲を吹きあげたとき
無責任な私は
死んだ蛇を振りまわす子どものように
きいきいと叫び声をあげた

それをあなたも見ていた

黒々とした巨大な波が壁のように押しよせてきたとき
あなたは幼い子の手を引いて丘の上をめざした
重機で築きあげた長大な岸壁が
豆腐をくずすみたいにあっけなく崩壊するのを見た

ラムネ壜のビー玉は
ビー玉ではなくて
本当はエー玉というんだよ
そんなささいな日常が一瞬にうしなわれて
瓦礫と放射性物質の山におおわれる

あなたの命は
大きな物語のなかに置かれているかもしれないけれど
あなたはもちろん
そんなことを望んではいない
私も望んではいない
あなたも私もささやかな物語を生きたいだけなのだ
それはささやかだけれど
美しい物語で
だれもがお互いを尊重し
しずかに愛しあっている

ひと粒のどんぐりが道ばたに落ちている
だれかがそれを見つけてつまみあげ
ポケットにいれる
しばらくしてどんぐりはポケットから取りだされ
土に埋められる
水分をふくんで
どんぐりはぷっくりとふくれ
皮をやぶって芽を出す
土から顔を出した芽は
光をあびて葉をひろげる
葉は風に揺れ
雨を浴び
光合成で二酸化炭素から炭素を取りだし
かわりに酸素を大気に放つ
どんぐりは風と光を浴びながら
樹木へと成長していく
それがあなただ

あなたは忘れてはいない
ファーストフードチェーン店でできあいのハンバーグをいつも食べなくても
ステーキ専門店で肉汁したたる焼いた牛を食べなくても
隣の畑で採れた季節の野菜と
私が作ったあたたかなスープをいただけば
それだけで充分に幸せであることを

あなたは思いだす
何リットルもの巨大エンジンを積んだ自動車を乗り回さなくても
冷え性になったり風邪をひきそうになるほどエアコンを回さなくても
私と連れだって自転車をこぎ
ベランダに打ち水をしてうちわをパタパタやれば
それなりに充分に楽しいことを

鉄とコンクリートでかためられた巨大な建造物はもういらない
木と土でできた古い家を補修しよう
マンションのために巨木を切り倒すのはもうやめよう
木々に巣箱をかけ鳥たちを呼びもどそう
原子力発電所を動かすのはもうやめよう
不便を楽しむ生活をしよう

あなたは朝
太陽とともに目覚める
日を浴び
酸素と二酸化炭素を交換し
活力を感じて
あたらしい一日に歩みだす
あなたは夜
夜の暗さを楽しむ
照明を落とし
暖かいくぼみに横たわり
休息の祈りをささげ
回復のために
眠りにつく

灯台のてっぺんをすれすれにかすめて
戦闘機がやってきたとき
臆病な私は
闇夜を飛ぶ蝙蝠のように
ひらひらと逃げまどった
そんな夜が二度と来ないことを
私とあなた以外のだれが祈っているだろうか
私とあなたの祈りがつながるように
夜の祈りが人々にとどくことを願う
政治家に
資本家に
社長に
株主に
官僚に
武器メーカーに

巨大な建屋が水素爆発を起こして
きのこ雲を吹きあげたとき
無責任な私は
死んだ蛇を振りまわす子どものように
きいきいと叫び声をあげた
そんな朝が二度と来ないことを
あなたと私以外のだれが祈っているだろうか
あなたと私の祈りがとどくように
朝の祈りが彼らにとどくことを願う

木を植える人がいる
種をまく人がいる
作物を育てる人がいる
靴を修理する人がいる
服を縫う人がいる
野菜を売る人がいる
年寄りが子どもたちに教える
子どもたちが年寄りの手を引く
自転車が通りすぎる
挨拶がかわされる
味噌と醤油が貸し借りされる
病気の人に寄り添う猫がいる
風が木々の葉を揺らして通りすぎていく
太陽と星々のかがやきが人々に安心をもたらす

笑顔のあなたがそこにいる
風に揺れる樹木のように
そこにいるあなたを
私は見ている
そういう街に私は住みたい

見えますか、私?

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   見えますか、私?
                            作・水城ゆう

 なにかの物音で目がさめた。
 ぐっすり眠っていたように思う。前の日、思い出せないが、なにか大変なことがあってとても身体が疲れていた。夢も見ないで眠りこんでいた。
 身体は疲れていたけれど、意識ははっきりしていた。なんの物音だったのかと耳をすましていると、また聞こえた。ススーという物がこすれたり移動したりする音、カタンという小さな音。
 横になったまま音がしたほうに目をこらしてみる。暗くてよく見えない。なんだろう、だれかいるのだろうか。でも、そんな気配はない。ひとり暮らしのこの部屋にだれかがはいってきたらすぐにわかるはずだし、たしかにドアはロックしてある。
 ネズミだろうか。だとしたらそれはそれで怖い。私はゴキブリもネズミもクモも嫌い。
 何時ごろだろう。夜明けまでにはまだありそうだ。
 ベッドの横のカーテンを少しあけてみた。街灯の明かりが差しこんできて、部屋のようすがぼんやりとわかった。
 音がしたほうに目をこらす。そちらには衣類を入れた低いたんすがあり、上にはぬいぐるみや写真などの置物が立ててある。
 じっと見ていたが、なにも起こらない。
 もう一度寝直そうと、カーテンを閉めかけたそのとき、視線をはずしかけた目のすみでなにかが動いた。
 たんすの上のフォトフレームのひとつが倒れて伏せた形になっていた。それがすーっとまるでだれかの見えない手がそうしたみたいに持ちあがり、立ったのだ。
 私はあやうく悲鳴をあげかけた。

 その日から不気味なことが次々に起きはじめた。
 机にすわって本を読んでいると、開けてあったカーテンがすーっと動いて閉まった。めくれていたベッドカバーがぺろりと元にもどった。ならんでいる本の順番が勝手にならびかえられた。
 それが起こるのは夜だけではなかった。休日に昼間に部屋にいるときにも、現象が起こった。
 私の頭に浮かんだのは、古い映画のシーンだった。「ポルターガイスト」というタイトルのその映画では、家具やおもちゃが人の手も触れていないのに空中を飛びかう恐ろしい光景が繰りひろげられていた。それは悪霊のしわざなのだった。
 悪霊? そんなものに思いあたることはない。だいたいこれまで何年かこの部屋に住んできて、一度も起こらなかったことだ。それとも、悪魔払いをしてもらったほうがいいのだろうか。それってだれに頼めばいいの?

 いまも私の目の前で不思議なことが起きている。
 机の上に置いたコップが動いている。飲みかけの水が半分はいっている。それが横に動いた。机の端から床に落ちる、と思ったら、すーっと持ちあがった。
 空中を横に移動していく。キッチンのあるほうに浮遊していく。
 コップが流しのなかに着陸し、それからゆっくりと蛇口がひねられて水が出るのを見て、私はついにこらえていた悲鳴をほとばしらせた。

 気を失っていたのかもしれない。どのくらいの時間がたったのか、気がつくと人の声がしていた。
「あの子、本当に不憫《ふびん》。結婚式ももうすぐだったのに。宏彦《ひろひこ》さんには気の毒なことをしました」
 ママの声だった。でも、声のするほうにはだれもいない。空耳《そらみみ》?
「おれもくやしいですけど、運転手も謝罪してるし、誠実な人みたいだから。それよりお母さんこそ体調とか大丈夫ですか?」
 聞いたことのある男の声だった。宏彦さん? だれだっけ? その声はなんだかとても懐かしい感じがする。
「あの子が事故で亡くなってもうすぐ四十九日《しじゅうくにち》ね。でもまだこの部屋にいるような気がするのよ。だから時々こうやってここに来てみるの。あの子のことを感じたくて……」
 ママ、わたし、ここにいるよ。なんでママが見えないの? ママも私のことが見えないの?
 どうしてなの? 事故ってなに? 私、どうなったの?
 ひょっとして、私……死んじゃってるの? だからママのことが見えないの?

 自分が生きているか死んでいるか、どうやったら確かめられるんだろう。
 いまここにいる私、こうやってみなさんに話をしている私。
 生きているの? あなたたちには私が見えているの?
 私にはあなたたちのことが見えていない……

子どものころの七つの話「七 砂場の糞の話」

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  子どものころの七つの話「七 砂場の糞の話」
                            作・水城ゆう

 男の子が多いときは山に行ったり河で遊んだりしたが、女の子と遊ぶときは家のなかか近所のことが多かった。
 隣の家はハタ屋で、年中休みなくガシャコンガシャコンと機織りの音がひびいていた。そこの娘は私と同い歳で、よくいっしょに遊んだ。うちに来て、母の作った焼きリンゴを一緒に食べたり、庭でままごとをしたりした。
 ある日、近所の砂場のようなところで遊んでいた。堤防の下の空き地のようなところで、そんなところにわざわざ砂場が作ってあるはずもなく、たぶんたまたま砂地がそこにあって、子どもの砂遊びの場所になっていたということだったのだろう。
 春の暖かい日で、堤防の土手に生えているしだれ柳の新緑が砂場の上をはいていて、気持ちがよかった。私とハタ屋の娘は、その下で砂でなにかを作ってあそんでいた。
 私の指がなにか細長い、やや柔らかい感触のものをさぐりあてた。なんだろうと思って、つまんで見たが、砂にまみれてそれがなんなのかよくわからない。指で押しつぶすと、簡単にぐにゃりとつぶれてしまった。
 ふと私は思いあたり、それを放りだすと、指を鼻に持っていった。
 強烈な臭気を感じ、私はあわてて家に走りもどった。洗面所で手を洗い、指のにおいをかいだ。においはまだ消えていなかった。砂場の物体は犬のものか猫のものかわからないが、動物の糞にちがいなかった。
 粉石鹸を指にまぶし、ごしごしとこすり、なんどもなんども洗った。においはなかなか消えなかった。
 その日は風呂にはいったのに、風呂からあがってもにおいはこびりついていた。翌日もにおいは消えなかった。何日もにおいは消えなかった。その指についたにおいはいま現在にいたるまで消えていない。

子どものころの七つの話「六 夏の話」

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  子どものころの七つの話「六 夏の話」
                            作・水城ゆう

 子どものころに住んでいた家の庭には小さな池があり、井戸の水が引かれていた。井戸の水は年中ほぼ一定の水温で、夏は冷たく、冬は暖かく感じた。
 夏には畑でとれたもぎたてのトマトや西瓜《すいか》がよく池に浮かんでいた。とくにトマトは毎日のようにおやつがわりに食べていた。よく冷えた丸のままのトマトにかぶりついて、汁をしたたらせながら食べる。いまのトマトとちがって青臭く、酸っぱかったが、凝縮された味と冷たさが贅沢だった。
 夜になると蚊帳《かや》をつって、そのなかで眠った。
 縁側をあけはなした座敷に蚊帳をつっていたのは父のアイディアだったろうか。風がとおって、もちろんエアコンなどというものはなかったが、涼しくて気持ちよかった。そもそもいまほど暑くなかったような気がする。夜になっても三十度を超えているなどという日はなかったと思う。
 庭にむかってあけはなしてあるので、蚊はもちろん、いろいろな虫が舞いこんでくる。うちは河と山が近かったので、蛍もたくさんやってきた。昼間に遊びすぎて疲れはて、眠くて朦朧《もうろう》となった眼に、蚊帳の外を飛び交う蛍の光がうつっていたのは、ほとんど幻覚に近いような記憶として残っている。
 蚊や蛍のほかにも、蠅や蛾ももちろん飛んできた。蛾は電灯を消すとすぐにどこかに飛んでいってしまったが、蠅はなにが気にいったのか蚊帳のまわりをしばらくぶんぶん飛んでいたりしてうるさかった。
 カナブンやクツワムシが飛んでくることもあった。朝起きたら立派な角《つの》を持った雄《おす》のカブトムシが蚊帳にとまっていて喜んだこともあった。カスミ網に似ていたせいだろうか、雀《すずめ》やツグミが蚊帳に引っかかったこともあった。大きなカルガモとカワウが飛びこんできたときには、さすがにびっくりした。
 たぶんボスだろう、巨大なニホンザルが蚊帳に引っかかって暴れまくり、網をずたずたに引きさいて逃げていったときには、父も私もかんかんになってしまった。つかまえてこらしめてやろうとしたのだが、追いかける私たちをキッと見返した眼光が妙に鋭く、思わずひるんで足をとめてしまった。そのボス猿の口には、池から拾ったらしいトマトがくわえられているのが見えた。

子どものころの七つの話「五 蜂に刺された話」

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  子どものころの七つの話「五 蜂に刺された話」
                            作・水城ゆう

 子どもら数人と山へ遊びに行った。私が子どものころは子どもたちは小さな子も大きな子も、まちまちの年齢の子が近隣でひとかたまりのグループを作って遊んでいた。山へ遊びに行くときも、大きな子が小さな子を引き連れる形で行くのだった。
 アケビかなにかを採りに行ったのだと思う。木によじのぼったり、薮をがさがさ歩いているうちに、たぶんうっかり蜂の巣があるところに踏みこんでしまったのだろう。私めがけて蜂が飛んできて、それを手で追い払おうとした。スズメバチのような大きな蜂ではなく、アシナガバチかなにかだった。気が立っている蜂に手首のあたりを刺されてしまった。
 たちまち真っ赤に腫れて泣き叫びたくなるほど痛かったが、とっさに大人から聞いた話を思いだした。蜂に刺されたときは小便をかけるといい、アンモニアが毒を消してくれる、というものだ。いまではその俗説は迷信であり、アンモニアが消毒どころかむしろ衛生的に問題があるのでやらないほうがいい、ということがわかっている。しかし、そのときはそう信じていたのだ。
 私はすぐにズボンをおろし、腫れた手首にむかって小便をかけた。信じられないことに、痛みはたちまち消え、腫れもおさまってしまったのだ。まぎれもない真実の記憶として、私のなかにそのことが残っている。
 ついでに小便はさまざまなものを消してくれる効果があることを私は発見した。あるとき、神社で遊んでいると、犬の糞を発見した。なにげなく私はそれに小便をかけてみた。するとたちまち犬の糞が跡形もなく消えてしまったのだ。
 その後、私はいろいろなものを小便で消した。親に見せたくない悪い点数の答案用紙、壊れてしまったおもちゃ、うっかり寝小便をしてしまったときも自分の小便でそれを消したりもした。

子どものころの七つの話「四 ミミズの話」

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  子どものころの七つの話「四 ミミズの話」
                            作・水城ゆう

 私がもうすこし大きくなって、父とではなくひとりで釣りにでかけるようになったころの話だ。たぶん小学校の高学年、五年生か六年生だったと思う。
 父と釣りに行くときはそのへんの畑をほじくりかえしてとったドバミミズを持って行ったが、ひとりで行くときは釣果をあげるためにミミズの品質にこだわった。私の釣りのねらいは鮒で、近所の河川や沼にはヘラブナではなくマブナしかいなかった。そしてマブナはシマミミズが最高の釣り餌なのだった。
 私はシマミミズが大量にとれる場所を知っていた。それは祖父が経営する自動車修理工場の裏手にある牛舎の脇で、牛の糞を堆肥にするために大量に積みあげてあった。かなりの臭《にお》いだったが(よく近所から苦情が出なかったものだ。いや出ていたのかもしれない)、臭《くさ》さもなんのその、良質の釣り餌確保のためなら牛の糞の臭《にお》いなどなんでもなかった。
 牛糞の山を少し掘ると、シマミミズがぎっしりとからみあうようにうごめいていて、ものの数分で持参した味の素の空き缶がいっぱいになった。つやつやと太った最高のシマミミズで、私はそれで何百匹マブナを釣ったことか知れない。
 中学三年生くらいのころ、授業が退屈で、体育の時間にサボって学校を抜けだしたことがある。その際、だれもいなくなった教室の女生徒の机のなかから弁当箱を盗みだして、学校の外で食べてしまった。まだ昼休み前の時間だったのだ。
 空っぽになった弁当箱に、私はなにを思ったのか、牛舎の脇に行き、例のシマミミズをたくさん詰めこんで蓋をし、ハンカチでしっかりとくるんで女生徒の机のなかにもどしておいた。
 そのあとどうなったか。いまだと完全な犯罪行為であり(当時でもそうか)、私は少年院送りになっていたことだろう。

子どものころの七つの話「三 父と釣りに出かけた話」

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  子どものころの七つの話「三 父と釣りに出かけた話」
                            作・水城ゆう

 子どものころに住んでいた家の前には大河が流れていて、それは堤防でせき止められているのだが、昔のなごりだろう、堤防の外側にも小さな支流や沼のようなものがたくさんあった。
 家の近所にも池というか沼というか水たまりのようなものがあって、それは「どんぶ」と呼ばれていた。魚釣りに最適な水場だった。
 高校の教員をしていた父は休みの日になると、よく私を連れてどんぶに魚釣りに出かけた。ホンダのカブに乗り、私はうしろの荷台ではなく父の前の股の間にハンドルにしがみつくようにしてまたがって、二人乗りで出かけた。釣り道具はおもちゃのような竹竿と簡単なしかけ。餌はそのへんの畑をほじくってつかまえたミミズ。
 どんぶにつくと、ふたりならんでどんぶのふちにしゃがみ、草むらの切れ目から竿を出して釣りをはじめる。釣りといっても、釣れるのはほとんどがちっぽけな鮒《ふな》で、たまにハヤか鯰《まなず》が釣れることもあった。鯰が釣れると大変で、鯰は鰓《えら》のところにトゲみたいなぎざぎざしたものがあって、うっかりすると指を切ったり怪我をする。そして鯰は仕掛けを深く飲みこんでしまう癖があるので、針をはずすのもむずかしい。そういうときは仕掛けをあきらめて糸を切らなければならない。
 その日は釣りをはじめてもあたりがまったくなく、数時間がたっても浮きはぴくりとも動かなかった。よく晴れた、暑い日だったように思う。父も私もダレはじめていて、もうそろそろ家に帰ろうかとかんがえていた。
 そして実際に帰るために父が腰を浮かしかけたとき、いきなり浮きがシュポッと水中に消えた。父があわてて竿を取り、思いきりしゃくりあげた。
 竿がグンとしなり、糸がさらに引きこまれた。
「お、お、えけぇぞ(大きいぞ)!」
 父が興奮ぎみに叫び、竿をさらに立てて獲物を引きよせようとした。しかし、まったく獲物はあがってこず、糸を切られないように父はどんぶのへりを、草をばさばさ蹴倒しながら右往左往した。
 どのくらいたったろうか、私には数十分にも思えたが、なんとか糸を切られないようにだましすかしのやりとりがあったあと、獲物がようやくこちらに近づいてきた。父がひときわ大きく竿をしゃくりあげると、いきなりどんぶのなかにじゃぶんと踏みこんでいった。水中に両腕を突っこみ、獲物をとらえてザバアッとすくいあげた。
 大きな魚が岸へと投げあげられた。見たところ、一メートルはあろうかという鯉だった。しばらくビチビチとはねていたが、すぐにおとなしくなった。
 父はその日、いつものように金魚すくいのちっぽけなビニール袋しか持ってきていなかった。それを鯉の口にかぶせ、カブの荷台に鯉をくくりつけて、家路についた。
 その巨大鯉はしばらく私の家の小さな池でゆうゆうと泳いでいたが、台風で堤防が決壊してあたり一帯が浸水したとき、流れていっていなくなってしまった。いまごろ、どこでどうしているのだろう。生きていればもう五十歳以上だが、なんとなくまだ生きてそのあたりを仕切っているような気がしている。

子どものころの七つの話「二 川に流された妹の話」

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  子どものころの七つの話「二 川に流された妹の話」
                            作・水城ゆう

 うちの前には大きな河が流れていて、うちは堤防の下に建っていた。
 いまでこそその河は上流にダムができて、水流はちょろちょろと少なくなってしまい、しかも生活排水が周辺から流れこむものだからどぶ川のようになってしまったが、私が子どものころはとうとうと青黒い水がながれる立派な河だった。
 しかし、いまから書く妹が流された話は、その河のことではない。河の堤防の下に建っている私の家の前に、小さな用水路のような川が流れていた。これはたぶん、堤防を作るときに大河《おおかわ》の支流を残して、うまく生活用水として使えるように整備したものだろう。幅が一メートルくらいで、石垣を積んでふちがくずれないようにしてあった。
 ところどころに石垣をえぐって石段が作られていて、そこで洗濯をしたり水をくんだりできるようになっていた。
 小さな川とはいえ、水はしっかりと流れていて、深さはたぶん三、四〇センチはあったろう。私はよくその川に裸足ではいって、カワニナやトンボのヤゴをつかまえたりして遊んでいた。
 妹は私と四歳はなれていて、それはたぶん私が五歳くらいのときだったから、まだ歩きはじめて間もないころの事件だった。私がその川べりで遊んでいると、突然母が聞いたこともないような悲鳴をあげた。なにごとかと見ると、
「もと子が、もと子が流されてる!」
 と、川のへりで半狂乱になっている。あわてて駆けつけると、たしかに私の妹が川に沈んで、仰向きになったまま流されている。水面下に見える妹の顔はなにごともないかのように目も口もあいたまま、空を見上げている。
 母が川べりにはいつくばって妹を水の下から引っ張りあげようとしたが、妹の身体は川をまたぐ小さな橋の下にくぐりはいってしまった。
 騒ぎを聞きつけて、たまたま近くにいた私の叔父、つまり母の弟がかけつけてきた。叔父は二十歳すぎの頑健な若者で、さすがに機敏だった。そのままずぶりと川に飛びこむと、流れのなかに立って、橋の下から出てきた妹の身体をすぐにざっぷりと引っぱりあげた。大量の水しぶきをまき散らしながら、妹は川べりへ引きあげられた。
 妹は息をしていなかった。意識があるのかどうか、たっぷりと水をのんでいることはまちがいない。
 叔父が妹の足首をつかんでさかさまにぶらさげた。そして上下に振りながら背中をばんばんと叩きはじめた。
 すぐに妹の口から大量の水が吐きだされ、やがて咳きこみながら弱々しい泣き声が聞こえてきた。ああよかった、生き返ったんだな、と私は思った。
 その事件は私にも衝撃的で、とくに目と口をあいたまま仰向けに流されていく妹の顔は印象的だった。そして数日後、私も川に流されてみることにした。大河で赤ん坊のころから遊んでいたせいで、私は水遊びが好きだった。水がこわいということもない。石段から川にはいると、息をとめて流れに身体を乗せてみた。
 流れは意外に速く、私の身体はあっという間に運ばれていった。顔をあげると、目の前に黒く口をあけた暗渠《あんきょ》の入口が見えた。そういえば、川は私の家の前からすこし行ったところで暗渠のなかへと消えていて、その先がどこにつながっているのか知らないのだった。
 あわてて川から出ようとしたが、水流は強く、立ちあがることができなかった。私はそのまま真っ暗な暗渠のなかへと呑みこまれてしまった。
 そのあとのことの記憶はいまだにない。

子どものころの七つの話「一 風呂の焚きつけの薪《たきぎ》の話」

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  子どものころの七つの話「一 風呂の焚きつけの薪《たきぎ》の話」
                            作・水城ゆう

 私が小学校にあがる前まで住んでいた家の風呂は、薪で炊いていたことを覚えている。
 風呂の外に焚き口があって、そこに薪を入れて火を焚き、お湯をわかしていた。なにしろ幼いころのことなので詳細は覚えていないが、ガスや、もちろん現在のように自動の湯沸かし器で焚いていたのではなかった。
 いまになって気になるのは、風呂を焚くための薪はどうやって調達していたのか、ということだ。
 そのことを、先日、母に訊いてみた。
 母は肺ガンの手術を二度に渡って受けたばかりで、右肺も左肺も、その一部を切除した。帰省するたびに話を聞いてやるが、とにかく自分の病気の話ばかりして、自分がいかにつらい大変な思いをしたのかを息子(私だが)に訊いてもらいたい様子だった。私は自分でも自覚しているが、けっしてよい息子ではなく、これまで心配ばかりかけさせてきたので、せめていまは母の話を聞いてやりたいと思うのだが、際限のない母の肺ガンの話はうんざりしてしまうことがあるのが正直なところだ。
 肺ガンの話が一段落ついたときに、昔の風呂の話を訊いてみた。とくに薪の話だ。
「薪で風呂を焚いてたよね」
「うん」
「外に焚き口があって、そこに薪をくべて焚いてたよね」
「うん」
「薪はどうやって調達してたの? 親父が薪割りしてた姿なんて見たことないけど」
 私の父は十年前に亡くなっている。
「もらってた」
「だれから」
「地主から」
 聞けばこういうことだったらしい。
 高校の教師をしていた父はまだ若いころにがんばって家を建てることにした。とはいえ、土地まで買う資金はなかったらしく、土地を借りていわゆる上物《うわもの》だけを建てた。私はその家で生まれた(ほんとは近くの病院だが)。
 家が建っていたのは大きな河の堤防の下で、背後には山が迫っていた。低い山だが、それでも幼い私にはそびえたっているように思え、夕方には早々と日が沈むのがいやだった。
 その山か、あるいはそのつづきの山なのか、とにかく地主は山も所有していて、木こりの仕事もしていた。農家なのだが、農作業のほかにも山に木を植えたり、伐り出したり、山仕事もしていた。山は手入れをしないと荒れる。下刈りしたり、間伐するのだが、そのたびに薪や焚き付けが大量にできる。それを時々束にして、母にくれたらしい。
 母はまだ二十代中頃の初々しい新妻で、近所の人からなにかと親切にしてもらったとすこし自慢そうにいった。
 家の軒下には大量の薪がいつも積んであって、古いものから風呂の炊きつけに使う。新しい生木は湿っていて燃えにくいからだ。時々私も焚きつけを手伝った。
 藁でくくった薪の束をほどくと、なかからいろいろな生き物が出てきた。一番多いのは蜘蛛。それから蓑虫。カマキリの卵が産みつけられていることもあった。春先でちょうど孵化のタイミングと合ったのだろう、束のあいだから大量のミニカマキリが湧いて出てきたときには驚いた。たぶん三百匹くらいはいただろう。薪をほどいた私の腕やら胸やら顔やらにわらわらとはいのぼってきて、あげくのはては髪の毛のなかにはいりこんだり、鼻の穴にもぐりこんだりしてきたので、くしゃみが止まらなくて困った。
 ほかにもトカゲやら蛇やら、百舌鳥《もず》や山雀《やまがら》の巣が出てくることもあった。巣のなかには卵や孵化したての赤裸《あかはだか》のヒナがいて、それを蛇が丸呑みにしようとしていることもあった。

ふたつの夢「ふたつめの夢」

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  ふたつの夢「ふたつめの夢」
                            作・水城ゆう

 美容院のドアをあけたら、いらっしゃいませ、という元気な声がいくつも降ってきた。
 この美容院はオーナー美容師が自分の知り合いの知り合いで、カリスマ美容師たちのカリスマといわれているほどの腕前であり、また資格も持っている人だということだ。彼に切ってもらうのが理想ではあるが、私はとくにこだわっていない。若い美容師に交代で切ってもらっている。彼らとよもやま話をするのが楽しみでもある。
 元気な声は彼らと彼女らのもので、自分がはいっていくとすぐに、お荷物をお預かりしますこちらへどうぞ、といって丁重な扱いを受けた。
 自分はパナマの帽子と風呂敷包みを預け、鏡台の前の椅子によっこらしょと腰をかけた。
 外苑前から国立競技場に向かう途中にある店で、明るい道路に面しているのになぜか地下にあって、店内は薄暗い。しかし、明かり取りの窓が地表近くにあるので、完全な闇というわけでもない。地下特有の水のにおいというか湿気を感じる。
 ちりちりにちぢまらせた髪型の若い美容師がやってきて、今日はぼくが担当させていただきますどうぞよろしく、といってこちらの髪をちょっと触った。
 どうなさいますか、というので、任せるけどさっぱりと軽くしてくれないかなプールで泳いでいるので水に濡れた後始末が楽なのがいいんだ、と答えた。このちょっと伸びた感じはけっこうかっこいいですよもったいないですね、といわれたが、いや思いきってさっぱりとやってくれと要求した。
「そういえば、お客さん」
 と、若い美容師がいう。
「以前、この店に住んでおられたそうですね」
 自分はびっくりして聞き返そうとした。
 若い美容師はちゃきちゃきと鋏を鳴らしはじめた。切られた髪がするどく飛んで、凶器のように目に突きささるような気がして、自分は思わず目を閉じた。
「おれが? ここに?」
「ええ、オーナーからそう聞きましたけど」
 いわれてみると、そんなことがあったような気がしてきた。たしかに自分は一時期、地下室に住んでいたことがあった。光があまり差しこまなくて薄暗いことはそれほど苦でもなかったが、湿気が多いのにはまいった。業務用の除湿器を買って、四六時中回していた。バケツ一杯ほどの水が数時間おきにたまるほどだった。
 それがこの場所だったとはうっかり忘れていた。
 自分はあらためて鏡越しに店内を見回してみた。
 地下室なのに天井がかなり高い。ダクトが天井からのびていて、そこで換気がされているようだ。美容室なのに本棚がある。オーナーの趣味だろうか、床から高い天井までしっかりと作りつけられた本棚に、文学書や思想書を中心にびっしりとハードカバーが並んでいる。
 本棚がない部分の壁には額にはいった絵がかけられている。ひとつはモノクロの、目つきの鋭い猫を抱いた裸女の絵。もうひとつは「強盗」とキャプションがはいった雑誌の表紙のような絵。
 本棚といい絵といい、美容院にしてはかなり変わった内装だ。
 ここに自分が一時期住んでいたらしい。
 自分が住んでいたときは、本棚も絵もなかった。自分はほとんど本を持たない人間で、思い出してみるとソファベッドをここに置いていた。昼間はソファとして使い、夜になるとがらがらと引きのばしてベッドにし、真っ暗闇のなかで湿気を感じながら眠りについていた。
 ちゃきちゃきと飛んでくる髪をがまんして薄目をあけると、鏡のなかでは自分の背後にカウンターがあるのが見えた。カウンターにはウイスキーやリキュールの瓶がならんでいて、さらにその内側にはサイフォン式のコーヒーメーカーがあり、美容師がコーヒーをいれている。
 もうひとつ奇妙なことに、私のすぐ背後で女がひとり、光る板を持ってなにやら読みあげている。
 どうやら朗読をしているようだ。
 彼女も最近、この店のオーナーに髪を切ってもらったらしく、大胆ともいえるほど短いカットになっている。私は長い髪の彼女しか知らないので、まるで知らない人を見るような気がする。
 ここに自分が住んでいたときは、だれに遠慮することもなく音を出せたので、ピアノを置いて、昼夜かまわず演奏していた。
 いまはカウンターもあるし、私が住んでいたころほど広くはなくなっているので、ピアノはなく、せいぜいカウンターの端っこに小さなキーボードとコンピューターを置いてささやかに演奏する程度だ。
 さて、ようやくここにたどりついた。
 私の演奏をいまあなたは聴いている。
 彼女の朗読をいまあなたは聴いている。
 彼女がいままさに読んでいるのは、この文章だ。
 これは私の夢なのか、それともあなたの夢なのか。