サラヴァ東京のオープンマイクイベント、再び

昨日の夜はゼミ生の山田みぞれが出るというので、サラヴァ東京のオープンマイクイベント「ショーケース」にみぞれちゃんのピアノサポートで行ってきた。
先月につづいて2度めとなる。
ところが昨日は、エントリー6組のうち3組がドタキャンしたということで、私も急きょ、みぞれちゃんのサポートとは別にソロピアノ演奏で参加することになった。
お客として遠方はるばる、ゼミ生のアズーが駆けつけてくれた。ありがとう。

午後8時、イベントスタート。
司会が今回から交代するということで、ユニークな爆笑トーク炸裂の男女ペア。
最初にこれまでの司会者だった人とシャンソン歌手の人がそれぞれシャンソンを歌う。
つづいて、オープンマイクにエントリーした人の演奏がはじまった。

ハーモニカと歌(ご高齢の方)、ユニークなオリジナルボイスでの弾き語り、パントマイムのような演劇のような反戦メッセージの女性のソロパフォーマンス(最後はヌードでびっくり)。
みぞれちゃんは前半のステージで、私の「Even If You Are My Enemy」をくれた。
私は即興ピアノ演奏で共演。
大変充実したパフォーマンスをやれたように思う。

ゲストの歌などがあって、私は後半のステージで演奏。
唱歌の「我は海の子」を即興演奏からはいって、最後はなんとなくスローな3拍子になって終わり。
司会の男性が私のピアノをとても気にいってくれたようだ。

このイベントは最後に、司会者やゲストが「この日もっとも心を動かしたパフォーマンス」を相談して決め、アンコール演奏をすることになっているのだが、そのアンコールに私が選ばれてびっくりした。
こういうものは事前に耳打ちくらいされて準備をするのかと思っていたが、本当にステージの最後に発表されて、なんの準備もしていなかったのでちょっとあわてた。
結局、オリジナル曲の「ヒガンバナ」を演奏させてもらった。
最後に選ばれたのも、みなさんにしっかりと聴いていただけたのも、うれしかった。
こういう機会を作ってくれたみぞれちゃんには感謝。

扇田拓也氏との合同ワークショップ、終了

昨日はカトリック下北沢教会のアトリエかまぼこ(元米軍かまぼこ兵舎)で、演劇と朗読のワークショップ「物語と自我」を、扇田拓也くんと合同で開催した。
初めての試みだ。

扇田くんは先日、てがみ座「空のハモニカ」の演出で多くの観客を魅了し喝采をあびたばかりの、新進気鋭の舞台演出家であり、みずからも役者として舞台やテレビに出演することもある人だ。
とても緻密で繊細なステージを作る人で、私の現代朗読の演出とは対極にあるといっていい。
まったくちがう手法と感性を持つふたりだが、何年か前から交流があり、今回、ぜひいっしょにワークショップをやってみよう、ということになったのだ。

午前10時スタート。
アトリエかまぼこは古いけれど落ち着いた空間で、定員20人のワークショップにはゆったりとしてちょうどいい感じ。
今回、ちょっとしたサプライズとして、扇田くんのサポートに「空のハモニカ」で金子みすずを主演した石村みかが駆けつけてくれたことがあって、うれしかった。
彼女も真剣に参加してくれ、ほかの参加者たちにもおおいに刺激になったのではないだろうか。

今回使ったのは、扇田くんも私もともに太宰治の「海」という短いテキストであることがあらかじめ決まっていた。
これを使って、まずふつうに輪読。
それから扇田くんがプランを示して、演劇的にこれをステージ表現に作りあげるにはどうしたらいいか、ふたつのグループに分かれてさっそく実践にはいっていった。

午前中はそれぞれのグループが自分たちがアイディアを出しあって、ステージプランを作る。
ランチ休憩をはさんで、午後はいよいよそのプランの実演作り。
演劇の経験者は少数で、「演じる」ということや演劇的な段取り作りの段階でかなり苦労している感じだった。
とはいえ、みんな楽しそう。

ひととおりそれぞれのグループが「海」を劇作品にしあげたところで、今度は私がそれを現代朗読のエチュードとして発展させながら、最終的にステージ表現にするプロセスを提供した。
演劇とはちがって、即興性のなかでひとりひとりの表現を全体融合させていく現代朗読の方法は、じつにシンプル。
ゼミ生が多かったこともあって、あっという間にステージパフォーマンスができあがってしまった。
ものの30分。

最終的にこの現代朗読の方法を、演劇プランと合体させることができるかどうか、いくつか試行錯誤してみたが、これは大変難しかった。
かんがえてみれば、いきなりこのような挑戦的な試みがうまくいくわけはないのだが、それでも可能性の片鱗と、なにより予期しないことが起こり、生まれつつあるという現場の感覚に、私はわくわくしっぱなしだった。
この試みは機会をつかまえてぜひ第2弾をやってみたいものだ。
扇田くんもきっとそう感じてくれているだろう。

物語と自我――演劇と朗読についての扇田拓也合同ワークショップ

自らも俳優であり、演出家でもある扇田拓也氏と現代朗読演出の水城ゆうが、合同で演劇と朗読のワークショップを開催します。

演劇と朗読の違い、あるいは共通性について興味のある方、そしてそれぞれの現状や先端的な表現に興味がある方には、非常に刺激的なワークショップとなるでしょう。
扇田氏は演劇の最先端の現場から、水城は現代朗読というあたらしいジャンルから、それぞれまったく違ったアプローチの演出方法を取るふたりが、ともに表現についてかんがえ、参加者たちといっしょに身体を動かしながら検証してみようというワークショップです。

◎日時:2013年8月24日(土)10:00-17:00
◎会場:カトリック世田谷教会 アトリエ(旧米軍かまぼこ兵舎)
  世田谷区北沢1丁目45−12
  小田急線/井の頭線 下北沢駅より徒歩6分
◎参加費:8,000円

◎主催:現代朗読協会

※詳細・お申込はこちら
 銀行(ゆうちょ)振込・クレジットカード決済が使えます。

【講師紹介】
扇田拓也。俳優、演出家。1976年、東京都生まれ。

日本大学芸術学部演劇学科中退。在学中に劇団「ヒンドゥー五千回」を旗揚げ。以降、全作品において脚本・演出を担当。多くの場合、自らも出演する。
ダックスープ所属。太鼓とラッパ。てがみ座「空のハモニカ」(脚本/長田育恵 演出/扇田拓也)@京都芸術センター(終了)/8/1〜4@座高円寺。
TVCM KIRIN澄みきり「カップル編」出演中。

水城ゆう。即興ピアニスト、小説家。1957年生まれ。
NPO法人現代朗読協会主宰、現代朗読協会オーガナイザー。
朗読と音楽による即興パフォーマンス活動を1985年から開始。また、1986年には職業作家としてデビューし、多くの商業小説(SF、ミステリー、冒険小説など)を出したが、現在は商業出版に距離を置き、朗読と音楽を中心とした音声表現の活動を軸としている。

音倉・怪談朗読「幽霊滝の第三夜」

2013年8月16日、下北沢のライブカフェ〈Com.Cafe 音倉〉でおこなわれた怪談のオープンマイクに現代朗読協会がゲスト出演しました。
朗読出演は野々宮卯妙、てんトコロ、山田みぞれ、宮本菜穂子、植森ケイ。
ピアノ演奏は水城ゆう。

演目は「幽霊滝の第三夜」。
小泉八雲の「幽霊滝」と夏目漱石「夢十夜」の第三夜を合体させて構成した作品です。

音倉・怪談朗読「幽霊滝の第三夜」

2013年8月16日、下北沢のライブカフェ〈Com.Cafe 音倉〉でおこなわれた怪談のオープンマイクに現代朗読協会がゲスト出演しました。
朗読出演は野々宮卯妙、てんトコロ、山田みぞれ、宮本菜穂子、植森ケイ。
ピアノ演奏は水城ゆう。

演目は「幽霊滝の第三夜」。
小泉八雲の「幽霊滝」と夏目漱石「夢十夜」の第三夜を合体させて構成した作品です。

げろきょネットライブ Vol.11 前半・晩衛/後半・KAT

2013年8月10日、羽根木の家で「げろきょネットライブ Vol.11」をUstream経由で配信しました。
録画が残っていますが、一部音声が欠落しているので、あらためてYouTubeで記録映像を配信します。

前半の朗読は晩衛、作品は知里幸惠「谷地の魔神が自ら歌った謡『ハリツクンナ』。
後半の朗読はKAT、作品は水城ゆう「夏の終わり、遊覧船に乗る」。
キーポード演奏は水城ゆう。

げろきょネットライブ Vol.11 前半・晩衛/後半・KAT

2013年8月10日、羽根木の家で「げろきょネットライブ Vol.11」をUstream経由で配信しました。
録画が残っていますが、一部音声が欠落しているので、あらためてYouTubeで記録映像を配信します。

前半の朗読は晩衛、作品は知里幸惠「谷地の魔神が自ら歌った謡『ハリツクンナ』。
後半の朗読はKAT、作品は水城ゆう「夏の終わり、遊覧船に乗る」。
キーポード演奏は水城ゆう。

音倉・怪談朗読ライブが終わった

昨日は下北沢のライブカフェ〈Com.Cafe 音倉〉でおこなわれた怪談のオープンマイクに現代朗読協会でゲスト出演してきた。

依然としてつづいている猛暑のなか、エアコンのない羽根木の家に出演者一同、午後3時に集合。
出演は野々宮卯妙、てんトコロ、山田みぞれ、宮本菜穂子、植森ケイ、そしてピアノの私。
暑いのにみんな元気。

野々宮とてんがさっそく、「お行儀のよいお朗読と口胡弓の伴奏」のパロディで遊びはじめた。
抱腹絶倒。
とくにてんの口胡弓は音だけ聴いていると下手な胡弓奏者よりよほど本物っぽい。
これ、ライブでやりたいけど、多くの人を怒らせてしまうだろうなあ(笑)。

軽く全体を流して確認。
今回の演目は「幽霊滝の第三夜」という、小泉八雲の「幽霊滝」と夏目漱石「夢十夜」の第三夜を合体させて構成した演目。
結局、今回の演目について、リハーサルは軽く2回のみ。
実質的にほぼぶっつけ本番。

ライブをなめているのではない。
逆で、即興性を大切にしている現代朗読では、リハーサルをやりすぎてなにかをなぞってしまうことを嫌っているからだ。
そのかわり、ひとりひとりは個別にみっちり読みこんだり、日常的に感受性や身体トレーニングを欠かさない。
フリージャズミュージシャンや即興舞踏家のありように近いかもしれない。

午後5時、下北沢の〈Com.Cafe 音倉〉にぞろぞろと歩いて向かう。
音倉ではステージの感触と音響の確認。
あとはなにもすることがないので、時間まで好きなことをしてすごす。

6時半、開場。
7時すぎ、開演。
げろきょ仲間ではずずこさんが駆けつけてくれた。
初の試みということでお客さんは少ないが、前半は朗読、怪談語り(野々宮も飛び入り)、ピアノ演奏とシャンソンなどもあった。

休憩をはさんで後半は我々のパフォーマンス。
シナリオはあるが、だれがどこをどう読むというのは最小限しか決めていない、即興的なパフォーマンス。
私の音楽ももちろん全編即興で、朗読のみんなとの濃密なコミュニケーションにそって進んでいく。
「いまここ」のマインドフルな感覚のなかで進む時間の楽しいのなんのって。
自分と出演者と観客に正直に、誠実に生きているという感覚そのものの濃厚な時間。

熱い拍手をいただいて終了。
ずずこさんからも熱烈な感想をいただいた。
それぞれ飲み物を注文して、乾杯。
メモ程度の簡易録画だったが、映像記録があるので、あらためてYouTubeで配信しよう。

「朗読音楽」による板倉さん応援ライブ、濃密な時間だった

昨日は中野〈スウィート・レイン〉で、入院されている板倉克行さんを応援するための朗読音楽のライブだった。
参加者はアルトサックスとフルートの森順治さん、テナーサックスとバリトンサックスの近藤直司さん、ベースの日野了介さん、ドラムスが今竹一友さんと藤巻鉄郎さん、朗読が野々宮卯妙、そしてげろきょ仲間の照井数男、てんトコロ、山田みぞれ、藤森ケイも朗読で参加という豪華メンバー。

20時から始まった第一部は、朗読からスタートするつもりでなにげなく演奏がスタートしたのだが、いきなり興が乗ってしまって、私、今竹さん、日野くん、森さん、近藤さんの5人で一気に突っ走ってしまった。
記録映像を見たけれど、これははいりこめる余地はない(笑)。
そのあと、仕切り直しして、野々宮に朗読ではいってもらう。
この朗読がまたハードなアジテーションとなって、おもしろかった。
近く、記録映像の抜粋をあげようかな。

スタートダッシュがすばらしかったので、そのあと朗読と音楽が入り乱れて疾走する濃密なライブとなった。
一部、二部、そして三部までやって、終わったら23時すぎ。

昨日はとにかく、みなさんから「おもしろかった」という感想を連発してもらい、店の勅使河原さんからも「おもしろかったのでまたやろうよ」といってもらえたのが、私もうれしかった。

また、音楽陣からは「この朗読の人たち、すごいねー」といってもらえたのも、わかっていたことではあるけれど(笑)、うれしかった。

もともと、板倉克行さんにおもしろがってもらって、ちょくちょく音楽ライブに引っぱりこんでいただいたのが始まりだ。
これまでも時々やらせてもらっていた今竹さんもずっとおもしろがってくれていたけれど、昨日はとくにみなさんに確信的におもしろがってもらえて、げろきょとげろきょメンバーも日々成長しているんだなあと思えた。

ライブは終わったが、じつはここからなにかが始まりそうな予感がしている。
現代朗読は朗読の人たちに見てもらっても反応は薄いのだが、音楽をはじめとするほかの表現ジャンルの人たちに見てもらったとき、くっきりと濃い反応がある。
それはこれまでにも経験してきたことだ。
現代朗読はもはや朗読という狭いくくりにははいりきらない。
「朗読音楽」でいいんじゃないか。
昨日のようなメンバーでユニット化してライブをやっていくのもおもしろくないか?

などといろいろなことをかんがえながら、昨夜は眠りについたのである。
そして今朝は私のなかで具体的なものごとの感触が生まれて、始まろうとしているのを感じている。

山田みぞれがサラヴァ東京「ショーケース」に出演するぞ

もう明日7月30日(火)のことだが、渋谷のライブレストランバー〈サラヴァ東京〉でおこなわれる「ショーケース」というイベントに、げろきょゼミ生の山田みぞれがエントリーした。
私のテキストを読んでくれるというので、ピアノ演奏のサポーターとして私ものこのことついて出ることにした。

ショーケースはサラヴァ東京で月に一回やっているオープンマイクのイベントで、出演しなくてもただ見に来るだけでもいい。
チャージは1000円、ワンドリンク付きと格安。
だれでもふらっと遊びに来れる設定になっているし、場所も文化村の隣というリッチな立地条件。

開演は20時。
どなたも気楽にいらしてくださいませ。
詳細はこちら

キッズ4「夏と私」終了

2013年7月27日、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて現代朗読公演「キッズ・イン・ザ・ダーク 〜 夏と私」2公演を開催し、無事に終了した。

午前9時半、羽根木の家に機材運搬組のかっしー、平田くん、菜穂子さんが来てくれる。
「全国タクシー」というアプリを使ってタクシーを呼び(便利だ)、楽器や撮影機材を平田くん、かっしーといっしょに明大前まで運ぶ。

キッド・アイラック・アート・ホールの前には出演者やお手伝いのげろきょの面々がすでに集合していたので、搬入はあっという間に終わる。
会場準備。
といっても、演劇のように装置や大道具はないので、客席を作ったり、楽器や記録用の撮影機材をセッティングするだけ。
ホールにはピアノがないので、私の演奏機材のセッティングが一番手間がかかる仕事だが、これはいつものことだ。

予定どおり、11時から場当たりをかねたリハーサル。
これも順調に進み、12時半には終わってしまう。
その間、ホールの早川くんが照明や音響の調整をひとりで黙々とやってくれていた。
キッド・アイラック・アート・ホールはちょっと小さくて、現代朗読としてはもうすこし広いスペースでやりたいと思うことがあるのだが、早川くんに対する信頼感が大きいためにこのホールを使う安心がある。
なにもいわず黙々とサポートしてくれるが、ほんとうにありがたい。

昼食を近くの〈なか卯〉で。
もどってきて、13時半、開場。
むし暑いなか、お客さんが来てくれる。
今回も例によって集客には苦労したけれど、出演者の知り合いやいつも来てくれる顔なじみの方たちに来てもらえた。
げろきょの知名度がもう少しあれば楽なのかもしれないと思うけれど、我々がやっていることの意味を知ってもらうのは簡単なことではないのかもしれない。
とにかく情報発信しつづけるしかない。

14時、定刻に開演。
演目は中原中也の「夏と私」という短い詩と、私の同名の「夏と私」という音韻を中也の詩にぴったり合わせた詩の2編のみ。
これを手を変え品を変え、繰り返し朗読していく。
それぞれの「ギグ」といっているがひと区切りごとにタイトルがついていて、それをみぞれちゃんがコールして進んでいく方式。

オープニング・ギグにはタイトルはついていないが、「無声音詰め寄り朗読」と呼んでいるもの。
その後「夏と私と中也と水城」「ワルツとチャチャチャ」「水平線と入道雲」「コーチ、水飲んでいいですか?」「オクトパス」「蛍狩り」「椅子取り合戦夏の陣」「夏の夕べのカエルたち」「ナイアガラ」「さざ波」「洞くつ探検」「線香花火」、そしてエンディングという順番でギグが進んでいった。

最後は朗読というより音楽や踊りに近い大盛り上がりで、全員汗だくになって終了。
いつものことだが、初めて見る現代朗読にとまどう人もいるし、またおもしろがってくれる人もいて、いろいろな反応だ。

15時すぎ、1回めが終了。
中休み。
16時半、2回めの開場。
17時、定刻に2回め、開演。
18時すぎ、2回め、終了。
19時には撤収がほぼ終わった。
大変スムーズに進行して助かった。

ふたたびタクシーをアプリで呼んで、機材を羽根木の家に運ぶ。
ほかのみんなは歩いたり、電車の乗ったりして、羽根木の家に移動。
何人かは所要で帰ったが、出演者・スタッフほか20人近くが羽根木の家に来て、打ち上げ。

みんなお腹がすいていたらしく、野々宮が用意していたおかずの皿はすごい勢いで空になっていった。
そしてここでも大盛り上がり。
じつに楽しい、しかもマインドフルな一日で、ずっと幸せを感じていた。

この公演の模様は、近日中に抜粋映像でお送りする予定。
参加できなかった方もお楽しみに。
(主宰・水城ゆう)

最後に、来場いただいた方の感想を、アンケート回答から抜粋して紹介します。

◎最初はビックリしたが、一緒に足をふみたくなった。

◎普通の朗読会と思ったら大間違い。見ていて、聴いていて熱くなる。いつの間にか自分も参加しているような会でした。

◎ステージを見るのは初めてだったのですが、とてもスリリングでエキサイティングな時間を過ごすことができました。最初の少し(正直なところ)混乱しましたが、そのからまった糸がだんだんほぐれたり、からまったり、流れが速まったり、遅くなったり、リズムにどんどんひきこまれました。最後に私の心の中に残ったのは「Destiny」でした。人生って最後どうなるかはわからない。「絶頂で終わる」って運命みたいで、「美」を感じました。

◎同じ詩が表現方法によって様々にきこえ、おもしろかったです。「さざなみ」が印象的でした。母の楽しそうな姿が見れて、充実感が伝わってきました。

◎客席ではなく、舞台の床の上に座って、出演者にまみれながらきいてみたくなりました。声に酔う、椅子取りゲームに巻き込まれて怪我を負う、などただではすまなそうですが。声でまだまだ遊べそうな予感がしますね。アイデア出し楽しそうですね。

◎私たちは関西から転居したばかりです。朗読に小さい時から興味があった孫が、最近、このサークルに入れて頂き、初めて見せて頂きました。私共も朗読が好きで、ラジオ等でよく聞いております。本日の公演が非常に新しい試みでびっくり、興味を持ちました。出演者の躍動感を感じました。今後の発展を祈っております。

◎出演している方が、やっていて楽しそうに見えました。

◎皆さんイキイキされていて、ほんと楽しそうでしたね。仲間に入りたい(笑)。言葉というものがモノを伝える手段を超えて、自分のエネルギーを確かめるひとつのリトマス試験紙になっている。なかなかいいパフォーマンスを見せていただきました。

◎何より出演者(朗読されている)の皆さんが、楽しく充実している様子が伝わってきた事が良かったです。

◎ひとつのテキストがかくも各イメージを持って楽しめるものにもなることを知りました。

◎ひとつの詩からいろいろな可能性が引き出され、とても興味深かったです。

◎とても現代風にアレンジされている朗読だったので、とても新鮮さを感じました。みなさんとても生き生きと表現されていて、楽しそうで、こちらも思わず笑顔になりました。今後もご活躍をお祈りしています。

◎とても楽しく参加させていただきました。2篇の詩が、このように、色々な表情をもって表現される事、又、群読・輪読、の色々なバリエーション。ナイアガラ、さざ波……。そのうち水琴窟のような余韻を楽しむようなものもお願いします。

◎ようやく公演を見ることができてよかったです。ワークショップでやったことを本当にそのままやっているんだ、と改めて感銘を受けました。音というか文字が宙に浮いて迫って来る幹事がしました。また見たいです。

◎初めて見る形の朗読で、皆さんがとても生き生きと楽しそうにやってるので、こちらまで楽しかったです。

◎個性的な一人一人が楽しそうに力強く動いているのを観て、私もたくさんエネルザーをもらいました。どうもありがとうございました。

◎素晴らしかったです。人の声がこんなにも人の心に訴えるものがあるとい事、感じました。どれも皆おもしろく楽しかったです。一番好きだったのは「ワルツとチャチャチャ」です。迫力がありました。心を動かされるものがありました。

キッズ4「夏と私」終了

2013年7月27日、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて現代朗読公演「キッズ・イン・ザ・ダーク 〜 夏と私」2公演を開催し、無事に終了した。

午前9時半、羽根木の家に機材運搬組のかっしー、平田くん、菜穂子さんが来てくれる。
「全国タクシー」というアプリを使ってタクシーを呼び(便利だ)、楽器や撮影機材を平田くん、かっしーといっしょに明大前まで運ぶ。

キッド・アイラック・アート・ホールの前には出演者やお手伝いのげろきょの面々がすでに集合していたので、搬入はあっという間に終わる。
会場準備。
といっても、演劇のように装置や大道具はないので、客席を作ったり、楽器や記録用の撮影機材をセッティングするだけ。
ホールにはピアノがないので、私の演奏機材のセッティングが一番手間がかかる仕事だが、これはいつものことだ。

予定どおり、11時から場当たりをかねたリハーサル。
これも順調に進み、12時半には終わってしまう。
その間、ホールの早川くんが照明や音響の調整をひとりで黙々とやってくれていた。
キッド・アイラック・アート・ホールはちょっと小さくて、現代朗読としてはもうすこし広いスペースでやりたいと思うことがあるのだが、早川くんに対する信頼感が大きいためにこのホールを使う安心がある。
なにもいわず黙々とサポートしてくれるが、ほんとうにありがたい。

昼食を近くの〈なか卯〉で。
もどってきて、13時半、開場。
むし暑いなか、お客さんが来てくれる。
今回も例によって集客には苦労したけれど、出演者の知り合いやいつも来てくれる顔なじみの方たちに来てもらえた。
げろきょの知名度がもう少しあれば楽なのかもしれないと思うけれど、我々がやっていることの意味を知ってもらうのは簡単なことではないのかもしれない。
とにかく情報発信しつづけるしかない。

14時、定刻に開演。
演目は中原中也の「夏と私」という短い詩と、私の同名の「夏と私」という音韻を中也の詩にぴったり合わせた詩の2編のみ。
これを手を変え品を変え、繰り返し朗読していく。
それぞれの「ギグ」といっているがひと区切りごとにタイトルがついていて、それをみぞれちゃんがコールして進んでいく方式。

オープニング・ギグにはタイトルはついていないが、「無声音詰め寄り朗読」と呼んでいるもの。
その後「夏と私と中也と水城」「ワルツとチャチャチャ」「水平線と入道雲」「コーチ、水飲んでいいですか?」「オクトパス」「蛍狩り」「椅子取り合戦夏の陣」「夏の夕べのカエルたち」「ナイアガラ」「さざ波」「洞くつ探検」「線香花火」、そしてエンディングという順番でギグが進んでいった。

最後は朗読というより音楽や踊りに近い大盛り上がりで、全員汗だくになって終了。
いつものことだが、初めて見る現代朗読にとまどう人もいるし、またおもしろがってくれる人もいて、いろいろな反応だ。

15時すぎ、1回めが終了。
中休み。
16時半、2回めの開場。
17時、定刻に2回め、開演。
18時すぎ、2回め、終了。
19時には撤収がほぼ終わった。
大変スムーズに進行して助かった。

ふたたびタクシーをアプリで呼んで、機材を羽根木の家に運ぶ。
ほかのみんなは歩いたり、電車の乗ったりして、羽根木の家に移動。
何人かは所要で帰ったが、出演者・スタッフほか20人近くが羽根木の家に来て、打ち上げ。

みんなお腹がすいていたらしく、野々宮が用意していたおかずの皿はすごい勢いで空になっていった。
そしてここでも大盛り上がり。
じつに楽しい、しかもマインドフルな一日で、ずっと幸せを感じていた。

この公演の模様は、近日中に抜粋映像でお送りする予定。
参加できなかった方もお楽しみに。
(主宰・水城ゆう)

最後に、来場いただいた方の感想を、アンケート回答から抜粋して紹介します。

◎最初はビックリしたが、一緒に足をふみたくなった。

◎普通の朗読会と思ったら大間違い。見ていて、聴いていて熱くなる。いつの間にか自分も参加しているような会でした。

◎ステージを見るのは初めてだったのですが、とてもスリリングでエキサイティングな時間を過ごすことができました。最初の少し(正直なところ)混乱しましたが、そのからまった糸がだんだんほぐれたり、からまったり、流れが速まったり、遅くなったり、リズムにどんどんひきこまれました。最後に私の心の中に残ったのは「Destiny」でした。人生って最後どうなるかはわからない。「絶頂で終わる」って運命みたいで、「美」を感じました。

◎同じ詩が表現方法によって様々にきこえ、おもしろかったです。「さざなみ」が印象的でした。母の楽しそうな姿が見れて、充実感が伝わってきました。

◎客席ではなく、舞台の床の上に座って、出演者にまみれながらきいてみたくなりました。声に酔う、椅子取りゲームに巻き込まれて怪我を負う、などただではすまなそうですが。声でまだまだ遊べそうな予感がしますね。アイデア出し楽しそうですね。

◎私たちは関西から転居したばかりです。朗読に小さい時から興味があった孫が、最近、このサークルに入れて頂き、初めて見せて頂きました。私共も朗読が好きで、ラジオ等でよく聞いております。本日の公演が非常に新しい試みでびっくり、興味を持ちました。出演者の躍動感を感じました。今後の発展を祈っております。

◎出演している方が、やっていて楽しそうに見えました。

◎皆さんイキイキされていて、ほんと楽しそうでしたね。仲間に入りたい(笑)。言葉というものがモノを伝える手段を超えて、自分のエネルギーを確かめるひとつのリトマス試験紙になっている。なかなかいいパフォーマンスを見せていただきました。

◎何より出演者(朗読されている)の皆さんが、楽しく充実している様子が伝わってきた事が良かったです。

◎ひとつのテキストがかくも各イメージを持って楽しめるものにもなることを知りました。

◎ひとつの詩からいろいろな可能性が引き出され、とても興味深かったです。

◎とても現代風にアレンジされている朗読だったので、とても新鮮さを感じました。みなさんとても生き生きと表現されていて、楽しそうで、こちらも思わず笑顔になりました。今後もご活躍をお祈りしています。

◎とても楽しく参加させていただきました。2篇の詩が、このように、色々な表情をもって表現される事、又、群読・輪読、の色々なバリエーション。ナイアガラ、さざ波……。そのうち水琴窟のような余韻を楽しむようなものもお願いします。

◎ようやく公演を見ることができてよかったです。ワークショップでやったことを本当にそのままやっているんだ、と改めて感銘を受けました。音というか文字が宙に浮いて迫って来る幹事がしました。また見たいです。

◎初めて見る形の朗読で、皆さんがとても生き生きと楽しそうにやってるので、こちらまで楽しかったです。

◎個性的な一人一人が楽しそうに力強く動いているのを観て、私もたくさんエネルザーをもらいました。どうもありがとうございました。

◎素晴らしかったです。人の声がこんなにも人の心に訴えるものがあるとい事、感じました。どれも皆おもしろく楽しかったです。一番好きだったのは「ワルツとチャチャチャ」です。迫力がありました。心を動かされるものがありました。

7月のオーディオブック・リーダー養成講座のお知らせ

オーディオブック制作のアイ文庫では、長く聴き継がれるハイクオリティのオーディオブックの制作と、唯一無二の表現者としての読み手の育成をおこなっています。
日程の都合がつかない方は、個人セッションも受け付けていますので、気軽にお問い合わせください。

主催:アイ文庫
協力:現代朗読協会

★次世代オーディオブック・リーダー養成講座
 声優/ナレーター/朗読者のためのステップアップ講座
 申込みはこちら

【概要】
オーディオブックの読みや収録についてのノウハウとトレーニング法を一日で集中講義します。
その後1〜2か月のトレーニング期間をおいて最終収録実習をおこないます。

【詳細】

(1)集中講座
以下の日程で開催される一日集中講義を受講していただきます。
とても居心地のいい世田谷の築78年の古民家で、一日じっくり学んでいただきます。

◎日時 2013年7月28日(日)10:00〜17:00
◎場所 羽根木の家(世田谷区/京王井の頭線新代田駅からゆっくり歩いて4分)
◎受講料 33,000円

※集中講座の日程が合わない方のために、個人セッションも受けつけています。ご都合のよい日時に個別受講が可能です。ご相談ください。

(2)トレーニング

収録用の作品を選び、(1)の内容の習得と(3)にむけての1〜2か月間のトレーニング期間を設けます。
期間中は、メールによる指導と面談(またはスカイプ、希望者のみ)で習得状況をチェックします。質問等も自由です。
理解度や技術レベルによっては現代朗読協会のワークショップに参加していだくこともあります(参加費免除)。

(3)最終収録実習

 アイ文庫のスタジオにて収録実践をおこないます。
 収録後、数日以内に評価結果をご連絡いたします。
 その結果を受けて、

 A) アイ文庫オーディオブックの本収録へと進む
 B) 現代朗読協会での実習を継続(ゼミ生登録)する
 C) 独立して自主制作

 という選択肢をご自分でえらんでいただきます。

【本講座の特徴】
オーディオブックリーダー(朗読者)は、ナレーターでもアナウンサーでもなく、声優でもない、新しい声のジャンルです。
オーディオブックの朗読にチャレンジしてみたいと思っている人が多いなか、その読みや収録についてのノウハウをしっかりとアドバイスしてくれる場所はそう多くありません。
そんななかで、アイ文庫は、今後も長くネットコンテンツとして流通していくに耐えるクオリティを持ったオーディオブックの制作とリーダーの育成にあたっています。
単なる音読コンテンツではなく、「朗読作品」としてのオーディオブックを読める人を育てることが目的です。

文芸朗読、詩曲集、教科書朗読、英語朗読などで業界随一のクオリティと実績を持つアイ文庫のオーディオブック・ディレクターが指導にあたります。
ただ読むだけではない、情報伝達のみにとどまらない、「表現」の域にまで踏みこんだクオリティの高いオーディオブック収録ができるハイレベルなリーダー(朗読者)の育成をめざします。数多くの実践的なノウハウを盛りこんだプログラムで予定しています。

アイ文庫のツイッターも参考にしてください。

見えますか、私?

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   見えますか、私?
                            作・水城ゆう

 なにかの物音で目がさめた。
 ぐっすり眠っていたように思う。前の日、思い出せないが、なにか大変なことがあってとても身体が疲れていた。夢も見ないで眠りこんでいた。
 身体は疲れていたけれど、意識ははっきりしていた。なんの物音だったのかと耳をすましていると、また聞こえた。ススーという物がこすれたり移動したりする音、カタンという小さな音。
 横になったまま音がしたほうに目をこらしてみる。暗くてよく見えない。なんだろう、だれかいるのだろうか。でも、そんな気配はない。ひとり暮らしのこの部屋にだれかがはいってきたらすぐにわかるはずだし、たしかにドアはロックしてある。
 ネズミだろうか。だとしたらそれはそれで怖い。私はゴキブリもネズミもクモも嫌い。
 何時ごろだろう。夜明けまでにはまだありそうだ。
 ベッドの横のカーテンを少しあけてみた。街灯の明かりが差しこんできて、部屋のようすがぼんやりとわかった。
 音がしたほうに目をこらす。そちらには衣類を入れた低いたんすがあり、上にはぬいぐるみや写真などの置物が立ててある。
 じっと見ていたが、なにも起こらない。
 もう一度寝直そうと、カーテンを閉めかけたそのとき、視線をはずしかけた目のすみでなにかが動いた。
 たんすの上のフォトフレームのひとつが倒れて伏せた形になっていた。それがすーっとまるでだれかの見えない手がそうしたみたいに持ちあがり、立ったのだ。
 私はあやうく悲鳴をあげかけた。

 その日から不気味なことが次々に起きはじめた。
 机にすわって本を読んでいると、開けてあったカーテンがすーっと動いて閉まった。めくれていたベッドカバーがぺろりと元にもどった。ならんでいる本の順番が勝手にならびかえられた。
 それが起こるのは夜だけではなかった。休日に昼間に部屋にいるときにも、現象が起こった。
 私の頭に浮かんだのは、古い映画のシーンだった。「ポルターガイスト」というタイトルのその映画では、家具やおもちゃが人の手も触れていないのに空中を飛びかう恐ろしい光景が繰りひろげられていた。それは悪霊のしわざなのだった。
 悪霊? そんなものに思いあたることはない。だいたいこれまで何年かこの部屋に住んできて、一度も起こらなかったことだ。それとも、悪魔払いをしてもらったほうがいいのだろうか。それってだれに頼めばいいの?

 いまも私の目の前で不思議なことが起きている。
 机の上に置いたコップが動いている。飲みかけの水が半分はいっている。それが横に動いた。机の端から床に落ちる、と思ったら、すーっと持ちあがった。
 空中を横に移動していく。キッチンのあるほうに浮遊していく。
 コップが流しのなかに着陸し、それからゆっくりと蛇口がひねられて水が出るのを見て、私はついにこらえていた悲鳴をほとばしらせた。

 気を失っていたのかもしれない。どのくらいの時間がたったのか、気がつくと人の声がしていた。
「あの子、本当に不憫《ふびん》。結婚式ももうすぐだったのに。宏彦《ひろひこ》さんには気の毒なことをしました」
 ママの声だった。でも、声のするほうにはだれもいない。空耳《そらみみ》?
「おれもくやしいですけど、運転手も謝罪してるし、誠実な人みたいだから。それよりお母さんこそ体調とか大丈夫ですか?」
 聞いたことのある男の声だった。宏彦さん? だれだっけ? その声はなんだかとても懐かしい感じがする。
「あの子が事故で亡くなってもうすぐ四十九日《しじゅうくにち》ね。でもまだこの部屋にいるような気がするのよ。だから時々こうやってここに来てみるの。あの子のことを感じたくて……」
 ママ、わたし、ここにいるよ。なんでママが見えないの? ママも私のことが見えないの?
 どうしてなの? 事故ってなに? 私、どうなったの?
 ひょっとして、私……死んじゃってるの? だからママのことが見えないの?

 自分が生きているか死んでいるか、どうやったら確かめられるんだろう。
 いまここにいる私、こうやってみなさんに話をしている私。
 生きているの? あなたたちには私が見えているの?
 私にはあなたたちのことが見えていない……

これ以上おもしろいことはもうできないんじゃないか

いよいよキッズ4こと「キッズ・イン・ザ・ダーク ~ 夏と私」の公演日が近づいてきた。
昨日も稽古だった。
今日も稽古だ。
げろきょは人からおどろかれてしまうほど稽古が少ないのだが、それでもある程度はやる。

今回は朗読台本がA4の紙一枚のみで、中原中也の短い詩「夏と私」と私の短い詩「夏と私」の2編を使うだけ。
この2編をくりかえし、さまざまな形で朗読することで、約75分間の公演をおこなう。
と、こう書くと、いったいどういうふうにやるんだろう、と思いませんか?
思いませんか?
観に行きたくなりませんか?

キッズ公演はこれが4回めになるけれど、毎回、こんなおもしろい朗読パフォーマンスはないと自分でも思っている。
朗読という常識を打ち破り、しかし私がかんがえる「本当は朗読はここまでやれるんじゃないか」という基礎概念を作り、身体表現としてのことば使いを育ててきた結果としての公演になっている。
毎回おもしろくて、終わったあとは「これ以上おもしろいことはもうできないんじゃないか」と思うのだが、不思議にその次はさらにおもしろくなっている。

私のアイディアもそうだが、ここには自分に正直で誠実に表現する共感的な表現者が結集していて、そのみんなのアイディアも力になっている。
前回4月におこなった春公演も、これ以上おもしろいものはできないだろう、と思うくらいおもしろくやれたのに、今回のキッズ4はまちがいなくさらにおもしろくなっている。
とんでもないアイディアとパフォーマンスが結実するはずだ。

さまざまな読み方を次々と繰り広げていくわけで、その段取りはたくさんあるのだが、しかし私が一貫してみんなに確認してもらっているのは、「いまここの自分自身の身体」を感じているかどうか、自分の全体性のなかから声や言葉が出てきているかどうか、ということだ。
それができたとき、そこには有機的なひとつの生き物としての群読の迫力と魅力が生まれるだろう。
そして今回の公演ではそれがまちがいなく目撃できるだろうと確信している。

私は朗読者ではないが、音楽家としてみんなとおなじステージに立てる幸せを予感している。
本当に楽しみだ。
興味がある方はぜひお越しください。
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