音が聞こえ、途切れる。また音がつづいて、ふたたび途切れる。音が聞こえ、そしてまた止まる。
音はリズムを持っている。それは速くなったり遅くなったり、たしかに生命の脈動を感じさせる。
一定のリズムが聞こえたかと思うと、また止まる。耳をすまして待っていると、またちがったリズムで音が聞こえはじめる。
その音はたしかに人の声だ。
どうやら言葉を発しているようだ。言葉を意味を持ち、文章を構成し、さらには物語を形作っているようだ。しかし、言葉が意味を持つ以前に、それは生きている人の身体から生まれた生命の脈動音そのものといっていい。そして音と音のあいだには休止、すなわち沈黙がある。
生命は歩き、走り、そして立ちどまる。じっと身をひそめる。そしてまた動きだす。
朗読という表現行為に接したとき、たいていの人はまずその意味を聞きとり、文章を頭のなかで再構成し、物語を理解しようとする。
声が音であり、リズムであり、生命現象の表現であることをそのまま受け取ってもらうことは、なかなかむずかしい。
ならば、意味を分断し、理解をわざと邪魔してみるとなにが起こるだろうか。
現代朗読ではさまざまなアプローチで、意味ではなく、朗読者の生命現象そのものを受け取ってもらう工夫を重ねているが、「沈黙の朗読」もそのひとつだ。
朗読にはかならず「沈黙」が存在する。言葉と言葉のあいだには、音楽でいうところの「休符」、音のない時間が存在する。その部分にスポットをあててみるとどうなるだろうか、という発想で2010年にスタートしたのが、沈黙の朗読のシリーズだ。
今回、沈黙の朗読の最初の作品である「記憶が光速を超えるとき」の初演朗読者であった榊原忠美を迎え、再演というよりあらたな構成でお届けすることになった。
「記憶が……」は何度か榊原と上演を重ねてきたが、その間にも現代朗読の野々宮卯妙と「槐多朗読」「特殊相対性の女」などの試みをつづけてきた。その集大成ともいえる今回の「沈黙の朗読」公演である。
「記憶が光速を超えるとき」の榊原忠美に野々宮卯妙がからみ、「特殊相対性の女」の野々宮卯妙に現代朗読の面々がからむという、多層構造になっている。
たった一回きりの公演だが、お楽しみいただければ幸いである。
沈黙の朗読
「記憶が光速を超えるとき」
作・演出:水城ゆう
朗読:榊原忠美、野々宮卯妙
「特殊相対性の女」
作・演出:水城ゆう
朗読:野々宮卯妙
群読:山田みぞれ、高崎梓、KAT、唐ひづる、町村千絵
演奏:水城ゆう
音響・照明:早川誠司(キッド・アイラック・アート・ホール)
主催:現代朗読協会
協力:キッド・アイラック・アート・ホール
詳細とご予約はこちら。
沈黙の朗読のあゆみ
◆2010年3月
ライブスペース中野plan-Bにて「沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき」を上演。朗読は榊原忠美と菊地裕貴、演奏・水城ゆう。
◆2010年6月
名古屋市千種文化小劇場にて、朗読・榊原忠美、演奏・水城ゆうと坂野嘉彦で「初恋」を上演。
◆2010年9月
下北沢〈Com.Cafe 音倉〉にて、朗読・野々宮卯妙、演技・石村みか、演奏・水城ゆうで「特殊相対性の女」を上演。
◆2010年12月
愛知県芸術劇場小ホールにて、朗読・榊原忠美、演奏・水城ゆうと坂野嘉彦で「記憶が高速を超えるとき」を、朗読・野々宮卯妙、演技・石村みか、演奏・水城ゆうで「特殊相対性の女」を 上演。
◆2011年10月
名古屋〈あうん〉にて朗読・榊原忠美、演奏・水城ゆうと坂野嘉彦で「記憶が高速を超えるとき」を上演。
◆2011年12月
明大前ブックカフェ〈槐多〉にて、朗読・野々宮卯妙、演奏・水城ゆうで沈黙の朗読「槐多朗読」を上演。以後、現在までに全七回の上演回数を持つ。
◆2013年2月
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて、朗読・野々宮卯妙、ダンス・金宜伸、演奏・水城ゆうで沈黙の朗読「初恋」を上演。