現代朗読ゼミは水城の没後も続いています。
代表を引き継いだ私・野々宮卯妙が「指導」に当たっていますが、もはや朗読を学ぶとか朗読に上達するということについては次元を超えた感があります(当社比)。
現代朗読は表現行為です。ゼミでは、サイトのトップに掲げているとおり、
「自分に嘘をつかない」
「唯一無二」
の表現をめざしてきました。その方法論は、非暴力コミュニケーション(NVC)とマインドフルネスをベースにしています。それぞれについては調べていただくとして、これらを追求して身体表現に落とし込むことを日々探究しているのが、現代朗読ゼミです。
自分に嘘をつかない
自分に嘘をつかない、ごまかさない。逆に言えば、自分に嘘をついている・ごまかしている自分に自覚的になる。いったんそんな自分を受け入れ、徹底的に見つめていく。といって、自分を責めて鞭打つことではありません。
目指すものに一直線に向かっても、決してそこには到達できません。
目指すものを意識しないとき、もしくはまったく別の道を歩いていくなかで、それは無自覚に落手されます。そして初めて、それが自分の目指していたもの・望んでいたものだとわかる。その自覚さえないかもしれない。けれど、身体は満足しています。
唯一無二の表現
声を発することは、身体に振動を起こし、同時にそれを受け取ることです。
その振動・共鳴を受け取るだけで大いに満足がありますが、表現者はその先へ進みます。
目指すのはオリジナルな——その人にしかできない唯一無二の表現です。
たとえば個性というのはしばしば癖と混同されているようですが、癖はふつうは自覚がなく、往々にして負荷となってその人の本来的な活動を阻害していることが多いため、まず癖を知り癖をとり、その人の本来性を損なわない動きや考え方を注意深く掘り出し再構築していく必要が生じます。
我(エゴ)を手放し、その人の身体にもともと備わっているオリジナリティを浮かび上がらせるのです。
それを現代朗読ゼミのエチュードで
ゼミでは毎回「ルーティンワーク」と呼んでいる身体への注目を促す一連のワークから始めます。
ゼミ生は毎月一人一回の自主ゼミを受け持ちますが、そこでもこの「ルーティンワーク」をおこない、自己観察の練習を重ねます。
その後、「エチュード」と呼ぶトレーニングをおこないます。
エチュードにはさまざまなバリエーションがあり、いずれも動くことを通じて身体を観察することを意図していますが、昨年、大いに取り組んできたのが「3拍子×4拍子」です。
これは2014年の公演「Kids in the dark 4〜夏と私」の「ワルツとチャチャチャ」というパートでおこなったエチュードで、二手に分かれて一方が3拍子、もう一方が4拍子で同じ文章を朗読するものです。12拍で一致しますが、自分の担当する拍子を保つことは非常に難しいのです。それが、身体でリズムを取るようにすると難しさが軽減され、慣れてくると楽しくなってきて、トランスに近い状態にまでいきます。
……と書けば簡単なようですが、これがどうして難しい。この練習の過程で起こったのが「我を手放す」ということでした。
自分の癖や習慣を手放し身体がリズムを刻むに委ねることができたとき、子どものようにただただ楽しいという状態が訪れます。「我を手放」して、とても自由です。
日常ではもちろん、修行をしても「我を手放す」といった境地に至るのはなかなか難しいものです。一直線に目指しても得られるものではありません。
拍子に合わせて声を出す、同時に違う拍子の声が耳に入ってくる、最初はまるでカオスに放り込まれたようです。
カオスを作り出しているのは自分の癖や習慣へのそれとは気づかず抱いている執着です。
執着を捨てるのは並大抵のことではできません。「捨てよう」と思わず、ひたすら目の前のことに集中するうち、楽しい状態になっている、気づけばあれだけ捨てられなかったものが勝手に消えていた……。
いわば「遊んでいたら勝手に手ばなれていた」のです。
そして今。取り組んでいるのは、他人の朗読にぴったり合わせることを目指すというエチュードです。一人をリーダー(leader/reader)として、その人の読み方(音程、アクセント等々)にそっくり重ねてユニゾンにするのです。
現代朗読では訛りやアクセント違いを「直す」ことはしませんので、その人がどんな音程でその語を音を発するか、予測して合わせようとするとできません。いかに高速で思考できても、それでは合わせることはできないのです。
人に合わせることを通じて我を手放し、目や耳で追いかけるのではなく委ねて全身で一致する感覚を待つしか方法はありません。
その瞬間瞬間の自分につながり続けることを目指すので、読み方はその日その時で変わります。延々と何度でも同じ方法で違う発見のある練習をやり続けることができます。
私自身は、テキストを見ずにユニゾンができるかの挑戦を始めたところです。
なんともまあ、凄まじくも凄いことを遊んでいるものだと思います。
こんな練習ができるのも、3拍子×4拍子の修羅場(笑)をくぐり抜けてきたメンバーだからだろうと思います。また、これはオンラインでは至難の業なのですが、リアルで同じ場にいてやると難易度がだいぶ変わります。オンラインでしごかれていると、リアルで初めて合わせてあっさりできてしまったりもするのです。
リアルでゼミができるようになっても、オンラインゼミのトレーニングは続けようと思いました。
リアルの熱と空気をコロナに阻まれて久しいですが、すべての経験を糧として、死ぬまで遊ぶことができるんだ、と喜んだゼミ後でした。