渋谷の大スタジオで「体験」する黙×想
2016年末、惜しまれつつ閉館した明大前のキッド・アイラック・アート・ホール。
このギャラリーで定期的に開催してきた、水城ゆう&野々宮卯妙の沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートも、本拠地を失いました。
2017年は大阪と名古屋で開催することができましたが、東京では希望に適う会場と巡り合うことができないままでした。
そしていよいよ2018年3月、東京では久々の沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートを渋谷でおこないます。
会場は、渋谷駅から徒歩5分に位置する渋谷区総合文化センター大和田、高い天井の広々とした大スタジオ。グランドピアノがあり完全暗転可能なスペース。
見る者聴く者に響いて引き出す「体験」となる沈黙[朗読×音楽]瞑想にとって、最高の環境を得たと言っても過言ではないでしょう。
ぜひ、リラックスできる服装で、床に座ったり寝転んだりしたければシートやひざ掛けを持参して、おいでください。
そして、ペンとノートを。絵の好きな方なら色鉛筆やクレパスやスケッチブックもお持ちください。
コンサートのあとのあなたに必要になる、かもしれません。
開催要項
日時……2018年3月9日(金)19時開演(18時半開場)全席自由
会場……渋谷区文化総合センター大和田(東京都渋谷区桜丘町23-21)
料金……予約 3500円/当日 4000円
※「お申し込みはこちら」のフォームに前日までのタイムスタンプでご記入くださったお名前をご予約者として対応させていただきます。
出演……水城ゆう(ピアノ、テキスト、演出)/野々宮卯妙(朗読)
コンセプチュアル朗読パフォーマンス「沈黙の朗読」とは
「朗読、なのに沈黙って?」とよく聞かれます。
「沈黙のための朗読があってもいい」という水城ゆうの発想から生まれた「沈黙の朗読」シリーズ。
即興演奏と朗読が濃密な時空間を彫刻する。沈黙を味わうための朗読が浮き彫りになる。
言葉が消えていく暗闇のなかで、一瞬とりのこされたきもちがするかもしれません。不安なきもちもわきあがるかもしれません。わくわくしている人もいることでしょう。
そこにとどまって、自分の内にわきおこるものと、同時に外側がかんじとっているものを見つめてみてください。あるいは、自分の呼吸に意識を向けてみましょう。
漂う言葉の断片にひきだされていたイメージは……?
自分のなかで生まれていたものは……?
見てみぬふりをしてきたものや、気づかずにやりすごしてきたもの(その最たるものである息)を、たちどまってほんの一瞬みつめる時間をもったとき、あなたのなかで何がおこるのか。
これは体験しないと――頭のなかでどれだけ想像しても――わかりません。その場にいたあなただけが出会えることです。
音楽瞑想とは
朗読のあとにやってくる沈黙。そして暗闇。
暗闇のなかで音が次第に立ち上がり滴り落ち、空間に音が満ち、なにかがあなたの中を満たしていきます。
瞑想に関心を持つ方にはやさしい導入に、やっている方には至福の時間になることでしょう。
できるだけ、自由な姿勢で聞いていただけるような会場を選んでいます。思うままに動いたり踊ったりすることもできます。
くわしくはこちらのページ(音読療法協会)もごらんください。
来場者の感想
◎初めての参加です。途中きもちよくて、ウトウトしていましたが、ねているのとは少し違うかんかくでした。まっくらの中のピアノの音がとても気持ち良かったです。他の瞑想にもチャレンジした事があるのですが、どーも私は雑念が多く、なかなかクリアな感じがないのですが、今日はとてもきもちよくすごせました。ありがとうございました。
◎朗読が思っていたものと全く違い、言葉として認識していたのがいつの間にかただの音として聞こえた。個人的に雑念(ことば)が中々消えなかったが、聴覚になるべく集中していると、暗くても音への距離や振動音でホールの広さが感じられたりしてとても落ち着いた。特に朗読は新体験になったので、単純にすごく面白かった。
◎音や声を“体験”するということで、じっと耳をすまして音や声をきいていると、楽器の音と声が何となく呼応しあっているな、というのが分かりました。現代朗読さんのパフォーマンスは何度か観たことがありますが、改めて、すごく新鮮で不思議な体験でした。そして後半は、ずーっと暗闇の中でのピアノでしたが、僕は色んな想いを感じずにはいられませんでした。本当は静かに耳を澄ませて聞いているべきなんだろうけれど、ピアノをききながら暗闇をみていると、色々なことを感じずにはいられませんでした。とてもいい時間でした! また次の機会を楽しみにしています(^^)!
◎今日の朗読の一部では、少し色々な音に引っ張られる感じがしました。「粋」という言葉がそこここに出現するのだけれど、音に乗って、符牒のように飛び廻るばかりで正体がつかめない……。2部の瞑想部では、事前に見たパレスチナの少女の顔が少しチラついたが、戦場とは対照的に緑と水滴を含んだ空気の中を、浮遊しながら心落ち着く世界を喜んでいる気になりました。
◎もっとピアノの音を聴いていたかったです。暗闇で弾けることが不思議でした。朗読といろんな楽器の音が混ざっていくのがおもしろかったです。
◎頭の中でこりかたまっていたものを、ある意味、暴力的になぶられた感覚。言葉を「音」として知覚するのは新鮮でした。後半、暗やみの中、音に身を任せていると、風に吹かれる草原の中にいました。
◎今までは毎回下で聞いていたので、今回は上で聞いてみました。やっぱり音の響きが大分違いますね。そのせいか、音が身体に入って来る感じが早く感じられました。今回は身体と呼吸にも意識を向けてみました。身体の各パーツを出来るだけ細かに感じる様にしましたが、自分では出来ていたと思います。呼吸は、気を抜くと意外に浅くなっていたり、極端な時は呼吸が止まっていることに気づくこともありました。真っ暗な中、ピアノの音を頼りに空間を感じられた時に、なんだか不思議な幸福感を感じました。
◎声が言葉になったり、音になったり、発する側×聞く側の関係の中で移り変わって感じられるのが、面白かった。暗闇の中、やはり神経は、覚せいしていて、意味のあるコトバが次から次へと出てきてしまいます。水なる(?)のは、中々ムズカしいですね。何でも楽器になる! 楽しいです。。。
◎暗闇になった時に、天井の小さなあかりが出口のようでもあり、入り口のようでもあり、そこに望みをかけて呼吸していました。また、じっとしていることが難しくて、からだの中でずっと踊っていました。周りの方の張り詰めた空気が伝わってくると、だるまさんが転んだ状態で緊張が高まりました。久しぶりに水城さんの演奏、卯妙さんの朗読を体験しましたが、なんだかお二人とも軽やかな印象でした。草原でのどかにロバの背中に揺られてる、みたいな。
◎朗読、音楽、素晴らしかったです。暗やみの中に自分の空間がふわっとひろがっていき、自分自身を見つめ、感じとることが出来たように思います。言葉でうまく表現出来ませんが、幸せな心で満たされています。明日からの日々に、元気を頂きました。今日は参加出来て良かったです。
◎からだが自然にゆれはじめ、言葉と言葉の間、音と音の間のふとした空間が、ただただ心地よい時間でした。
◎ピアノのしらべ、大きく小さくうねる声、自分の呼吸のかすかな音、どこかで椅子のきしむ音、天井なのか地底なのか、ここはどこにいるのか、感覚はとぎすまされ、またふくれあがり、潮のように引いていき、にぶくなっていく。まゆの中に入って行くように、自分自身が小さく小さくなっていき、細胞の核となり、点となった。むくむく、ぶつぶつ、分裂して行き、うまれかわった。新しい生命となった自由な魂。らせんとなってぐるぐるまわった。
◎前回は、身体を固定する意識で聴いたけど、今回は身体を自由に解し、椅子の背もたれに預けていた身体を起こしたり、筋肉の強張りを感じた部分を解す様に自由に身体を動かしながら聴いてみた。途中、やはり気が散って関係ない事を考えたりしてしまった。なるべく、言葉や意識を手放して聞くのを頑張って心掛けた。その内、音楽や朗読が身体の中で響くように感じられたが、残念ながら長続きはしなかった。ただ、これが成功すると、とても気持ち良かった。真っ暗になった後、目の回りで白い花弁がチラチラ散って見えたのが不思議だった。その内、その花弁が蝶の様にヒラヒラ舞う様に見えたのも不思議だった。
◎先月からずっと楽しみにしていました。前回は、自分の内に内に入ろうとして、奥まで辿り着けなかったけど、すごく自分の中の組織が正されていく感じでした。来月はまた違った気持ちでのぞみたいと思います。
◎朗読に対する体の反応は2重構造なんだと思った。「声、音に対するもの」「言葉の意味に対するもの」しばらく言葉の意味にはフォーカスしない聴き方をしていましたが、今日はどうしても言葉に対して反応したので、あえて止めませんでした。2重構造の反応というのも、なかなか楽しかった。ずっと何気に踊ってましたが、あまり感じたことのない反応があった。どんな反応だったか今はよーわかりません。まっくらになってから、安心して動きを大きくしましたが、もちょっと踊りたかったです。
◎言葉にするのがもったいないくらいの時間でした。声だけで、こんなにもはっきりとくっきりとした世界が広がるのだなと。真っ暗になってからの、音の時間は、不思議なほど心地良かったです。真っ暗な空間なんてなかなか今は居ることがないのだなと思うと、とてもぜいたくです。
◎だんだんと沈黙していく朗読。景勝地のような風景が次々に浮かんだ。なぜか懐かしい感じ。浮遊する感じがあるのだけれど、現実から離れているのではなく、むしろ「今ここ」に浸る感じ。 音楽瞑想は何度か受けたことはあったけど、今回は深さが段違いだった。音が体に入っていく。一つ一つ、体にアクセスする。音が、自分の中につくった水たまりの中へと落ちて反響、拡がっていく。途中で体を動かしたくなり、頭、首、肩、上半身全体を順々に、ゆるりと動かす。自然と回旋する。終わったはなんとも言えない爽快感。 めいっぱい動いて、発散して、スッキリした!というのではなく、無理やりはめ込んでしまっていた部品を全てバラして、もとのあるべき位置に戻したような爽快感。 まさに体のフルメンテナンス。全てがクリアになったよう。
◎暗転してからが色々とおきた。朗読がおぼろげになっていく。それが極まったとき暗転した。飽和した思考は現実感をうしなわせる。音にみちびかれるイメージはあふれるほどあるのだが、聴覚と体温は過去、現実、そして未来、自分旅行を行なわせる。もっと、もっと闇が濃くなったらどうなるのだろう。
◎最近、自分との距離がどんどん離れていっていると感じていた日が続いていたのですが、自分と自分が広くやわらかく同化できるような、そんな風になれてすごくよかった。服のこすれる音すらわずらわしく感じてしまうほど、ピアノの音が本当に心地良かった。まだまだ色々ありますが! また来ます。
◎ピアノと声のかけひき。不断に含まれる沈黙の中で、心地よく眠ってしまった。暗闇が演者と観客の境目をなくし、不意に立ち上がりたい衝動に駆られる。床の上や、部屋の角や、ピアノに寄り添って、音を聴いてみたい。
◎はじめから最後まで目をつむって聴き/聞きました。朗読とピアノの音が対等の音の景として、色々なイメージ表れては消え、もしくは尾をひいておりました。窓辺、階段、戸口、扉、風……という要素が浮かび、廻っておりました。
◎ぼうっとしたまっくらな空間の中に放り出された感じ。山々、川、海、鳥のなき声、草、葉、がぼやっと、ぐんにゃり、フワフワ、ふにゃふにゃ、空間の歪み? みたいな感じでぐるぐる回る(まとまらない)。永遠につづくような、つづいてほしい感じでした。
◎ミュージックメディテーションと言うことで、現代朗読体験講座での衝撃的な効果を期待して参加しました。野々さんの朗読も、いつも以上にミュージックメディテーションを意識した様な朗読でした。公演前に読んだパンフレット(?)に書かれていた身体に対する意識を心掛けて聞き入ってみました。中々に良い環境でピアノも朗読も素晴らしい響きでした。 何回か続けて体験することで、もっと深く身体への素直な意識が芽生えて来るのだと思います。後半、真っ暗な中で壁に貼られたパネルが窓の様に見えて来て、何やら大きな教会に居るような感じでした。
◎最初は、照明の明るさのもと卯妙さんのゆっくりとした歩みを伴った、一人の女の置かれた状況・内面を空間にマーキングするかごとく、情景描写の静かな朗読(声・言葉)が、空間を移動する。(そこから私は殆ど最後まで、眼を瞑っていた)まだ、あまりよく説明できる言葉が見つからないのですが、水城さんの音楽が始まる前から、卯妙さんの言葉・声のリズムや高低が、意味を表現しながらも、音楽的な瞑想のモチーフというか要素を提供する音の流れに聴こえるようになった。 水城さんの即興の音の塊や流れによって、気持ちやイメージを想起するというより、朗読から紡ぎだされる音(もちろん意味を示す言葉であるのだが)とが、対等に響き合って、音楽で言えば連弾あるいは2重奏の様に、演劇で言えば掛け合いのセリフの様に、空間を支配していた。 中盤からの真っ暗な暗闇の中での演奏と朗読の沈黙は、瞑想を更に深くしつつ、文脈に拘る心を解放して、イメージの浮遊となったようです。 ストーリーはあまり連続性を持たずに、むしろ音(言葉)によって紡ぎだされた、色々なモチーフ(要素)が、例えば灯台の建つ岬のイメージや、女が愛しい帰らぬ人を待ち続ける狂気や、窓辺の情景、窓枠の質感、戸口の拡がりと思えば扉の色、と言ったように、それぞれがこの空間のそこここに、女の内面をさらけ出すようにあり、また飛び回っている感じがしました。 特に、実際の階段を上るに動かない足は、ほんとに重く、しかし気が付いた時には、女の内面は、高く2階の窓辺に居る(これは、このギャラリーの舞台効果だとも思いました)・・・などなど。 あたりまえの事と言われるかもしれませんが、音に意味があるように、言葉にも音としての手触り(質感)があることを、すごく感じもしました。 明るさの中の沈黙、音の連なりと静寂の中に想起されるイメージ、暗闇の中の音の豊饒さ。 「見えないものが視え、聞こえないものが聴こえる」 「沈黙[朗読×音楽]瞑想」ライブが何処まで深化していくのか…また参加させて頂きます。
◎餓鬼を人間にしてくれて、ありがとう。