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子どものころの七つの話「一 風呂の焚きつけの薪《たきぎ》の話」
作・水城ゆう
私が小学校にあがる前まで住んでいた家の風呂は、薪で炊いていたことを覚えている。
風呂の外に焚き口があって、そこに薪を入れて火を焚き、お湯をわかしていた。なにしろ幼いころのことなので詳細は覚えていないが、ガスや、もちろん現在のように自動の湯沸かし器で焚いていたのではなかった。
いまになって気になるのは、風呂を焚くための薪はどうやって調達していたのか、ということだ。
そのことを、先日、母に訊いてみた。
母は肺ガンの手術を二度に渡って受けたばかりで、右肺も左肺も、その一部を切除した。帰省するたびに話を聞いてやるが、とにかく自分の病気の話ばかりして、自分がいかにつらい大変な思いをしたのかを息子(私だが)に訊いてもらいたい様子だった。私は自分でも自覚しているが、けっしてよい息子ではなく、これまで心配ばかりかけさせてきたので、せめていまは母の話を聞いてやりたいと思うのだが、際限のない母の肺ガンの話はうんざりしてしまうことがあるのが正直なところだ。
肺ガンの話が一段落ついたときに、昔の風呂の話を訊いてみた。とくに薪の話だ。
「薪で風呂を焚いてたよね」
「うん」
「外に焚き口があって、そこに薪をくべて焚いてたよね」
「うん」
「薪はどうやって調達してたの? 親父が薪割りしてた姿なんて見たことないけど」
私の父は十年前に亡くなっている。
「もらってた」
「だれから」
「地主から」
聞けばこういうことだったらしい。
高校の教師をしていた父はまだ若いころにがんばって家を建てることにした。とはいえ、土地まで買う資金はなかったらしく、土地を借りていわゆる上物《うわもの》だけを建てた。私はその家で生まれた(ほんとは近くの病院だが)。
家が建っていたのは大きな河の堤防の下で、背後には山が迫っていた。低い山だが、それでも幼い私にはそびえたっているように思え、夕方には早々と日が沈むのがいやだった。
その山か、あるいはそのつづきの山なのか、とにかく地主は山も所有していて、木こりの仕事もしていた。農家なのだが、農作業のほかにも山に木を植えたり、伐り出したり、山仕事もしていた。山は手入れをしないと荒れる。下刈りしたり、間伐するのだが、そのたびに薪や焚き付けが大量にできる。それを時々束にして、母にくれたらしい。
母はまだ二十代中頃の初々しい新妻で、近所の人からなにかと親切にしてもらったとすこし自慢そうにいった。
家の軒下には大量の薪がいつも積んであって、古いものから風呂の炊きつけに使う。新しい生木は湿っていて燃えにくいからだ。時々私も焚きつけを手伝った。
藁でくくった薪の束をほどくと、なかからいろいろな生き物が出てきた。一番多いのは蜘蛛。それから蓑虫。カマキリの卵が産みつけられていることもあった。春先でちょうど孵化のタイミングと合ったのだろう、束のあいだから大量のミニカマキリが湧いて出てきたときには驚いた。たぶん三百匹くらいはいただろう。薪をほどいた私の腕やら胸やら顔やらにわらわらとはいのぼってきて、あげくのはては髪の毛のなかにはいりこんだり、鼻の穴にもぐりこんだりしてきたので、くしゃみが止まらなくて困った。
ほかにもトカゲやら蛇やら、百舌鳥《もず》や山雀《やまがら》の巣が出てくることもあった。巣のなかには卵や孵化したての赤裸《あかはだか》のヒナがいて、それを蛇が丸呑みにしようとしていることもあった。